アメリカでのポスドクを辞める理由

日付;2022/02/12(土)

アメリカでのポスドクは2022年3月末で終了

アメリカでのポスドクのキャリアは2022年3月末で終了する。ここで、日本に帰ることにした理由を記しておこうと思う。


2022年がビザの最終年度である。

自分は2017年の10月の下旬にアメリカに来てポスドクを初めて、2022年3月末で4年5ヶ月になる。そして2022年がビザの最終年度であり、その10月の下旬でビザの期限が切れる。自分は日本人っ気が強いし、日本には家族も住んでおり今では家族と一緒にいることの重要性を理解している。それに、もともと、ずっとアメリカに居るつもりもないし、H1Bビザに切り替えるつもりもないので、このビザの期限がアメリカでの活動の期限ということになる。

次のキャリアがスタートするまでにブランク期間があるのは良くないらしい。

10月に帰国するとなると少し問題もある。自分は2年くらいJREC-INで日本での次の職を探していたが、どうやらこの時期から募集が増えてきて、それらの着任時期は次の年の4月から、ということが多かった(2021年はコロナウイルスのパンデミックでその傾向がなかったように思う。なぜが7月くらいに良い募集が多かったように感じており、年が明けてもたまに良さげな募集があった。しかし、2022年にはこの傾向はないように感じている)。つまり、10月末に日本に帰っても、次の職までにすこし期間が空いてしまうという問題があった。正直、ゆっくり休めるし、例えばコロナウイルスのパンデミックがそうだったように、何が起こるかわからないので、そのくらいの余裕は必要かなぁと思っていた。しかし、ある機会に過去にお世話になった先生にそれを話したときは、ブランクを開けるのはあまり良くない。順当にポストを得ることができないというイメージがあるので、そういう人は避けられる。今の御時世はわからんが。」というアドバイスを頂いた。その考えに至るプロセスはどうあれ、結果として自分もその通りだと思う。そういう時期にちょうど某研究所からリクルートされ、その研究所で行うことになるだろう研究テーマが思ったより良かったので、そこに決めてしまった。

これまで行ってきた研究が2021年に論文になった。

もはやこれはグダグダと語る必要もない。ポスドクとしてのアメリカ留学を決めた理由の1つに、キャリアを磨く、ということがあった。アメリカでこのポスドクを始めたときは、「Cancer Scienceレベルの専門誌で良いので、4本は論文を出そう。」と思っていた。それに、今考えても、実力から言って妥当な目標だったと思う。一方、アメリカでのポスドクと日本でのポスドクのスタイルが違っており、所属した研究室でそのようなスタイルの研究をするのは難しかった。しかしながら、自分が思っている以上に良い(ただし、アメリカではとても一般的なレベルの論文)論文を出すことができた。その出版が2021年の8月になってしまっており、次に述べるように研究室の効率問題もあり、その時点で行っている次の研究結果を論文で報告するためには、どう考えても1年では足りないように思っていた。そういうこともあって、ここで切り上げるのがベストかなぁと思っていた。

もし2022年の時点でその研究が論文になっていなかったら、H1Bビザを採ってでもその研究を続けていたと思う。ポスドクやってんのに自分が第一著者の論文が一報もないのはもはや全期間無駄になってしまうためだ。

この研究室の研究効率が悪い。

2021年の10月末に、そのときに居たポスドクが辞めてしまったことをきっかけに、その研究室のボスが、自分のキャリアはどうかと聞いてきたことがあった。そのとき自分は、「2022年の10月にビザが着れるので、そのときに日本に帰ろうと思っている。」と言った。そのときのボスの提案は、「Scientistとして雇おうと思うが、どうだ??給料もかなり上がるけど。」とか言ってきたが、自分の答えは明確に決まっていた。

「だが断る」

一択・一撃だった。

その理由の1つ目は、その研究室がどうしても中途半端で非効率だったためだ。なぜポジティブな結果が出ているのに、それに集中しないのだろうか。当時は、コラボレーション候補の研究室がテキトウに合成した新規薬剤候補のスクリーニングさせられ、ネガティブデータを出しまくっていたし、なぜかそのネガティブデータを全くと言っていいほど信じてもらえず、何度も何度も無駄に同じ実験を繰り返していた。テキトウに合成した新規薬剤候補と書いたが、それを使うことが決まったミーティングやその背景を教えてもらっていないので、その薬剤についての詳細は実際はよくわからない。しかし、実際に研究や実験を行っている者が本当のところはわならないなんてのもある意味では問題であり、理屈が良く解らない以上トラブルシューティングも難しいと思う。それに、薬剤の応用研究やトランスレーショナル研究は、基礎研究者としてはなかなか発展しにくいと思っていたところだ。自分は医者や製薬会社の研究者ではない。今後必要なものはサイエンスであったにも関わらず、この研究室にはサイエンスが欠けているように思う。続けることはできただろうが、苦労が多そうである。

もし3月で辞めることを伝えなければ、研究効率を無視して色々なことをさせられ、結果として1つの成果が形になるのがめちゃくちゃ遅くなっていたと思う。そして現時点(2022年2月時点)で集中して行っている研究をもっと早くに本気でやっていれば、同じ結果を得るまでに1年は早かったのではないかと思っている。

理由の2つ目は、研究室のマネージメントが良くないように思っていたためだ。まず、研究室が汚い。こんなんでは良いデータ出すための苦労が多い。それに従って物品や機器の管理が悪い。物品の発注に関するルールもぶれているし、研究室が所持する機器もキレイとは言い難い。こんなんでは必要なときに必要な機器や道具を臨機応変に使うことは難しい。イレギュラーな事態にもめっぽう弱いとかになる。日本の研究施設とは比較にならないくらい良い機器が揃っているのに、それを適切に、望んだ日時に使用するために余分な手間が増える。なんと勿体ないことだろうか。

そのほかの問題も以下のポストで書いている。これらも理由である。

以上3つが日本に戻ることを決意した理由である。3つ目の理由以外は、ごく普通の理由だと思う。