アメリカでのポスドクの応募に必要な研究業績や論文数について

必要な資質は何なんだろうか??

博士課程のときはアメリカ留学についてはほとんど考えていなかったが、漠然と「自分はもっと良い論文を書かなくては…」と思っていた気がする。博士課程を修了後、かつ、アメリカでのポスドクを経験する前は、自分は「日本でアメリカで通用するまでの論文を書いてからアメリカに留学した方がいい。」とか勝手に思っていた。しかし一度ポスドクとしてアメリカに留学を経験したら、その考えが超絶に間違っていたことを思い知らされた。ここでは、ポスドクとしてアメリカに留学するために必要な技能について自分の考えを残そうと思う。

アメリカでのポスドクとは一体どんなポジションなのか。

博士課程の学生と同等のポジションである。

日本でポスドクといえば、博士課程を修了後して、「まだ若くて未熟であるが研究の申請をでき、あれやったら自分でその研究をマネージメントして展開していける研究者。体力があるから、長い時間働くことができ、それに博士課程を出ているから教育だってできる。」というイメージがあると思う。実際はちょっと違っていて、「自分で研究費を調達しなければ金がなくて何もできないから助成金に申請するし、そんなんなので研究もマネージメントしなくてはならないし、将来のための教育もしないといけない。」というのが実際のところである。書いていて思うのだが、研究自体に集中できていないじゃあないか。これは日本の研究機関の闇だと思う。ちなみに研究所にくる学生なんか100%イキってるだけ(大学の友達にマウンティングしたい、とか、就活に弾みをつけたい、とかが目的であり、研究したいとか勉強したいではない。そういう学生も極稀にいるが、クセが強い。)なんで、あんなもん邪魔でしかない。

一方、アメリカのポスドクは、日本とは違う。博士課程の学生とほぼ同等の扱いを受ける。給料が博士課程の学生より高い分、奴隷のように使われる。また、ポスドクも自分のキャリアのために業績が必要なので、それが解っている者ならばけっこう頑張る。ちなみにニューヨークのポスドクはというと、おそらく国籍を問わず半分が使えない連中である。PI(Principal Invetigator;ボス)もそれを解っているので、ボスが放置主義ならば業績が出ないヤツはクビになるか、もしくはボスによる超絶厳しいマネージメントになる。自分が所属していたアメリカの研究室は後者である。

話を戻すと、特に3年目くらいでようやく信頼がでてきて、学生へのメンターになったりするし、学会での発表をさせてもらえるようになる。それ以前、もしかしたらポスドクの間中ずっと、学生の教育なんかに携わることはないし、一般的に教育のポジションではないので(ビザ取得の条件にはそれもやると書いてあるが)携わる必要もない。求められるのは労働力と良いデータだけである。

個人的に思うのが「この学生とほぼ同等である」という理解がアメリカでのポスドクで無駄のないようにするコツなのかもしれない。間違っても「おれ、何でもできるんで。この研究させてください。教育だってやっちゃいます。できないなら嫌です。」みたいな考えで研究室に所属してはならないと思う。こういうひとはおそらくクビ候補者である。

年齢;博士取得後なるべく早く(30歳くらいまでに開始)。

年齢については、若ければ若いほうが良い。しかし、アメリカと日本のポスドクでその意味するところが違うように思う。

まず日本のポスドクであるが、ここについてはびっくりするほど開始時の年齢は関係ない。おそらく、順当なキャリアさえ積んでいればほとんど問題なく採用される。その理由は、ほとんどが雇用者(PIなど)の裁量で採用されるからである。

次にアメリカの場合であるが、ここもやはり若ければ若いほうが良い。年齢は関係ない。日本と同様、PIの裁量で採用されるからである。アメリカで所属した研究室のボスと話していても、自分より若いヤツは全員「若手」と考えており、「35歳?若すぎるわ。何いってんだお前??」みたいな感じだった。しかし、上述したようにアメリカの場合は日本とは理由が随分と違っている。アメリカについては、本当にそういったバイアスがないし、全キャリア中で実力が問われる。特にニューヨークでは性別も国籍も年齢もかまってなんかいられない。時間が勿体無いので実力がほしい。面談やそのときのプレゼンで「この人間は適切である。」と判断されたらすぐに採用されるし、事も早い。

しかし、アメリカには「はじめのポスドクに与えるグラント」がある。自分はこれはあまりにも大きいと思う。これは年齢ではなく、キャリアとして若いかどうか、ということが条件だったと思う。つまり、ポスドクになりたてだったりする必要がある。なので、アメリカにポスドクとして留学する気持ちがあるならば、後述するように日本でのキャリアなんてほとんど関係ないので、日本でのポスドクなんかスキップして、さっさと留学するのが良い。実力がすべて、みたいなことを書いたが、ポスドクについてはある意味ではTraineeと同じように考えられるので、そこまで期待もされていない。だからこそ馬車馬のように働かされたりするのだが …..

アメリカも日本の場合も、問題はポスドク後のキャリアである。特に日本に戻る場合が本当に日本の良くないところ(年功序列第一)が一気に明るみに出る。これが留学するときに年齢を考慮する必要がある理由である。

ポスドクの時はあんなに実力主義だったのに、採用の判断基準が集団、さらに正確に言えば、民間会社や行政の関係機関の正社員になると、一気に実力主義ではなくなり、年功序列になる。違う言い方をすれば、日本の全職場の採用試験(書類・面接)で100%年齢差別が始まる。そういったバイアスがないことを掲げている会社もあるが、それは対外交向け宣伝用のウソと見たほうが良い。募集や公募ではウダウダと御託を述べているが、実際はおおよそ35歳以上では入社や採用に影響するように思う。なんやったら採用はそれがすべてであり、実力は全くと言って良いほど関係なくなるように思う。これも「そんなことはない」とか言われそうだが、それこそそんなことはない。日本社会は大きくなればなるほど、どうしようもなく「年功序列」社会であり、そして、おそらく日本に住む一般的な日本人の多くは実力主義というヤツを知らない。なのでエントリーは若いほうがよい。そして、例えば、日本や海外でポスドク経験して圧倒的な実力を備え、次に40歳で終えて研究員に応募しようとしても、まずは根強い年功序列問題があるし、さらに、能力的にもその時点で応募した会社に在籍している研究員やその他の部署の全人間の能力を遥かに凌駕してしまっているために、そういう奴らはその者のコントロールの方法を知らないために無条件に敬遠することが起こる。正直に言えば、これは会社側の勘違いであり、若ければ本当にコントロールできているかと言えば、それは全く違う。しかし、金を稼ぐ、研究業績を残すという経験のない一般人はそんなことを知るよしもない。これを避けたければ、ポスドク後に日本社会に移ろうとした場合は35歳くらいまでにポスドクを終える必要があり、その場合ポスドクの開始年齢は30歳くらいまでがベスト、ということになる。逆にそうすれば、このご時世はけっこう重宝されるかもしれない。

必要な論文数;1本

最初に書いたように、自分はアメリカに挑戦するならが十分な業績を上げてからが良い的な考えを持っていた。なので、日本での研究を一通り満足してからアメリカにポスドクとして挑戦した。

しかし、これは100%間違いと断言できる。その研究分野の基本的なことを理解しており、その研究室で十分活動していけるスキルの能力があれば、それでOKである。そして、その所属組織も、その組織で得た業績しかカウントしない。ポスドクとしてアメリカ留学するときに必要な論文は博士論文の提出のとき使った、良い学術誌に受理された論文1本である。

採用時の面接やトークでは多少はいろいろな経験があるほうが有利かもしれないが、アメリカでのその後の活動にそれは全くと言っていいほど関係ない。自分はそうだった。びっくりするくらいどうでも良かった。自分の場合は「その研究をやってきました。その実験はこうやれば上手くいくと思います」的なことを言おうが、そのボスには、自分は本当にそれを専門にやってきたのか真意を確かめる手段がないので、全く相手にされなかったと思う。最近はようやく信頼されるようになったが、そんなん、もう日本に帰る間際(2022年3月)である。一体なんのために面談時にリファレンスを3人もつけたのだろうか。

ということで、日本で積み重ねてきた業績は、アメリカのポスドク留学にはほとんど無意味である。自分が第一著者の博士課程の論文(その論文のすべてを正確に説明でき、その論文の成果の利点や課題などをディスカッションできる)が1本あれば、もうそれで十分である。高校や大学で留年や休学をしていなければ、27歳や28歳でアメリカのポスドクに留学でき、そこから5年アメリカに居てもせいぜい33歳くらいである。日本の国立の研究機関や企業の能力を信じることができ、かつ、その後日本をベースに活動するならば、この計画が良いと思う。

上述のように、アメリカでポスドクというものは、どうあがいても博士課程とほぼ同等と扱われる。それに、最初はどんなヤツだって業績を出すなんて期待されておらず、逆にその研究室に適応できなかったらどんなに優秀でもクビになったり、研究が嫌になって辞めたりする。雇い主のPIは、自分の研究の手伝い、優秀なヤツが来たらラッキーくらいにしか考えていない。それに、こういうこともあって、自分が日本で培ってきた技術を自分の考えに基づいて発揮する、なんてのは、そのPIやボスの信頼を得ることができてからである。そしてその信頼を得るまでには2年くらいは必要だろうと思う。

ちなみに、自分はボスからの信頼を得るまでにおおよそ1年半、十分と言えるまでには3年くらい必要だった。そして、気がついたら日本に帰る時期になってしまった。

英語でのコミュニケーション能力

業績よりも大事なのが、どう考えてもコミュニケーション能力である。どの国の誰に言わせても、これに異論を唱える者は居ないだろう。アメリカで所属した研究室は、通常は2回、朝にボスと研究に関して今日は何をやるのか、そして、夕方にその結果はどうだったかを話す必要があった。しかし、個人的には別の投稿を見てもらえれば良いのだが、一般的に1日で結果の出る生物学の実験はほぼ無いため、明らかに報告のしすぎである。このヒトはそれを知らないわけでは無いはずである。悪いのが、もしその実験結果が理想的でない場合、実験の途中であったとしても中断、もしくは変更するときが頻繁にあった。中断や変更がない場合でも、明らかにボスの機嫌が悪くなっていた。それに、朝にしたってそれと同じようなことが起こる。もし少しでもボスの「そのときの」考えと違うことを計画していたら、いくら前日に計画した通りのことを話しても、理解していないとして計画変更もしくは中断、そうでなければ不機嫌になる、という研究室だった。

自分のように研究を続けることができれば良いが、このストレスが限界を超えると、仕事を辞めることになってしまう。自分が在籍した4年間で計6人(ポスドク4人、RA2人)中、4人が突然辞めている(このうち、おそらく2人はストレス。1人はクビ。1人の理由は不明だが、突然自国に帰った。)。

今では研究室にもボスにも慣れて、こういうことはかなり少なくなったが、もし自分の英語でのコミュニケーション能力が当初から高ければ、もう少し研究の進捗も早かったと思うし、この手のストレスも無かっただろう。

プレゼンテーション能力

当然ながら、研究ではミーティングでデータを発表してディスカッションをする必要がある。このディスカッションでは、自分の考えを十分に述べる、かつ、次の実験や今後の研究計画など、次にやりたいことをボスから勝ち取らなくてはならない。言ってみればディスカッションでボスを納得させるか、打ち負かす必要があり、そのためのコミュニケーション能力とプレゼンテーション能力が必要である。

自分がアメリカで所属した研究室の場合は、プレゼンテーション能力は、いわゆる学会発表のような数十分以内で全体を上手に述べる能力ではなく、行った実験の目的が正しく捉えられているか、その条件でボスが納得するかどうか(注意が必要なのは「条件が正しいか」ではない。いくら正しくてもボスが納得しなければそれは間違いだった。だからみんな辞めてしまう。)、その結果は理想的か、理想的な結果でない場合は、その実験手技が正しかったかを使った試薬の消費期限まで確認してから、その言い訳を考える、といったような、そういうことである。これが上手であれば、とてもうまいことその研究室で活動していけるはずである。

PI(ボス)への適応能力

さらに、上記3.と4.を促進するための重要な能力は、そのボスへの適応能力である。上記3.コミュニケーション能力と4.プレゼンテーション能力で述べたように、自分がアメリカで所属した研究室の研究スタイルは、非常に歪んでいるように思えた。この点は、この研究室に所属していた優秀ポスドクも似たようなこと(Pointless)を言っていたことがある。そんなボスのもとで研究成果を残すのはけっこう大変であるが、ようは開き直って慣れれば良い。抵抗性というものは、そのストレスへの対処方法を持っていたか、身に付けた細胞に起こる性質である。こんながん細胞のような性質を、自分も獲得する必要がある。逆にそれができれば、生き残ることができるし、できなければその選択圧から逃げることはできない。

ハッキリ言って「条件として正しくなくても、ボスが納得する実験条件を提案しなくてはならない。」なんてのは、まともにサイエンスをやってきた者にとってストレスでしかないが、それに抵抗性をつけなければ、データさえ得ることはできない。

自分の所属する研究室(同僚・施設・組織)の性質の理解

上記3.から5.は研究室の支配者であるPIへの対処能力であったが、もちろん、同僚や自分の居るフロアなどへの対処能力も必要である。ここでも自分がアメリカで所属した研究室を例に出すことにする。まず、汚い。次にフロアにある共通機器であるが、汚いうえにメンテナンスが良くない。そして他の研究室の人間の共通機器の使い方が、かなり酷い。何が酷いかとうと、後片付けは基本しないし、ログインしっぱなしになっていたりするし、予約時間を守らない。

それに、修士を卒業したてのRAで、かつカリフォルニア出身のヤツなんて、ほとんど知識がないのに、無駄に賢かったりするので、始末が悪い。(一般的な知識が無かったりするので、話をしていてストレスでしかない。もう少し勉強してから研究してほしい。バカバカしい。)それに加えて、物品も馬鹿みたいに沢山使って実験し、補充も後片付けもしなかったりする(最近は少しマシになってきたが、これも自分が慣れただけかもしれない)。

アメリカには色々なバックグラウンドの人間が居るので、いちいち適応しなければならないように思う。こういったことに対して、業績を出すために自分なりの方法をなるべく早く見つける必要がある。

1回目の研究室を辞める勇気

これは最後の手段だろうと思う。以前研究室に居た優秀ポスドクは、ニューヨークの某有名私立大学から移ってきたらしい。その理由を一度少し話したことがあるが、それは「使っている試薬で望む結果が全然でないから、そこを辞めて来た。」ということだった。自分の研究テーマでも、今では使っている試薬の性質をよく知っており、興味深い結果もいくつか持っているが、やはりどうしようもない欠点がある。この欠点は毒性であり、見る人が見たら研究を続けるのが困難であるかもしれない。

また、ボスのマネージメントがどうしても嫌な場合もある。自分のアメリカの所属研究室でも、上述のとおり、ボスとの折り合いが悪くて4年半で50%が研究室を去っている。この場合、精神的なストレスから最終的に病気になってしまうかもしれない。

そんなときは、その研究室を辞める必要がある。これはなんだか挫折感があるし、負けた気もする。しかし、個人的にはこれは全く問題ないように思う。

実際、自分には経験がないのだが、おそらくビザがJ-1ビザである以上、一度研究室が合わなくて辞職したくらいでは、次のJ-1ビザの取得には影響しないと思う。もちろん、J-1ビザ取得のときの面談のとき、アメリカ領事館のオフィサーにその理由をしっかり説明する必要があるだろうが、そのときはネガティブなことは言わず、自分には実行する能力も十分にあったが、自分の研究テーマに問題があったとの旨を伝えれば良い。なぜかというと、J-1ビザとかはスポンサー次第であるためだ。次のポスドク先の施設がサポートすることが確定していれば、落ちることはまずない。というか、優秀ポスドクもおそらくそのうちの一人だし、5人中1人のドイツから来たポスドクもアメリカ国内の別の大学にポスドクとして再就職できている。

むしろ、あまりボス的にも研究テーマ的にも危険なテーマで無理やり研究を続けるよりも、自分のあった研究室で再スタートしたほうがおそらく研究が楽しいだろうし、結果的に良いと思う。なので、自分の中でよく考えて、この研究室や研究テーマに将来性が全く無い、とか、データ捏造じゃねぇのか、とか、そういうことが確定的であれば、思い切ってその研究室を出るのも一つの手段であると思う。言っておくがこれは挫折とかではない。戦略的な退却だと思う。言いすぎかも。

まとめ

アメリカのポスドクには博士課程に博士論文で使った論文1本あれば十分であり、かつ、その論文にインパクトは求められない。従って、アメリカでポスドクをやる予定があるのならば、博士課程の研究をその論文回りで体系立てて語れるように発展させていくべきである。それがうまくいっていたら、日本でポスドクなんからなずに、さっさとアメリカに来てしまったほうが良い。そっちのほうがその後日本でキャリアを積む場合にも有利になるかもしれない。アメリカでポスドクを始めるにあたっては、研究業績よりも、むしろコミュニケーション能力や研究室(PIや同僚など)への適応能力が必要である。