どのような発表でも研究のゴールと解析の目的をはっきり言わなければならない

日付;2022/05/31(火)

この日、職場でミーティングに参加した。この日の2週間前に、Zoomによるミーティングに参加したが、この職場で開催される対面式のミーティングは、コロナウイルスでオンラインのミーティングになって以来、初めてらしい。その時に率直に思ったことを記しておこうと思う。はっきり言って、ここに書いてあることは何の役にも立たないような気がする。しかし、この日に思ったことと、ここでの数年間の研究経験から得られた自他の業績と照らし合わせることで、その施設で行われているミーティング、研究の進め方、それに関する日常の働き方が、科学研究に根差している研究開発の事業所、すなわち、研究所としてのスタイルとして良いのか、はっきり言って悪いのかを自分なりに理解するためである。

現在の研究所の特徴的な働き方

以前に別の記事で書いたが、この研究所ではコロナウイルスのパンデミックが始まってからというもの、主な私語が禁止されているらしい。実際、話すときはみんなマスクをしっかりしてから発声するように見えるし、そもそも会話があまりにも少ない。そのせいで、新しく購入した自分用のノートパソコン(mouse K5)のファンの音があまりにも目立つという状況である。はっきり言って、これは過剰反応であり、明らかに必要な会話までも妨げられてしまっている。研究において物理的な会話が制限されているなんてのは、もはやダメである。何がダメかって、会話、質問、ディスカッション、アドバイスなどが制限されるのは発展にとっていいはずもない。正直、なぜこんなことで成り立っているのか、全っっっっっっく理解できない。

その日の発表内容があまりにも低レベルに感じた

その日の対面式ミーティングでは、発表のレジュメ(A4の紙に、実験方法やちょっとした結果が書かれたもの)が配られて、スライドの準備があるにも関わらず、そのA4の紙を見ながらみんなしゃべっていた。スライドの発表を使ったのは自分だけだった。もちろん、ミーティングの要件に資料を15部印刷するように書いてあったので、それに従ってそのスライドを印刷して臨んだ。

詳しい研究内容はここで述べることはできないが、自分を含めた4人のうち、発表、というか進捗状況の報告として成り立っていた(相手に伝わった)と思えるものは自分が所属する研究室の室長と自分のスライドだけだったと思う。他の2人の発表は、良いものではなく、特にそのうちの1人については、かなり悪かったと個人的に思う。

なにが悪かったかと言えば、その2つの発表には、その時点での実験の目的と、最終的に目指すべきゴールというものが一切記載されておらず、発表でも言われることはなかった。なので、初めて聞いたこっちは、一体彼らが何をやりたくてその実験をやっているのか全く分からなかった。しかも、実験の内容もかなりヘボいもので、「この人、いい年して、デカい体して、カッコいいスクラブ着て、やっていること修士レベルだけどなんなんだろう」と、本気で思ってしまった。本当に、にわかには信じられなかった。それに、統計もかなり危険なもので、所詮In vitroの研究でN=30くらいとり、それに対してT検定をやって、標準偏差と標準誤差の両方を出していた。もちろん、こんなにNを取ったら、小さな差だったとしてもp値はかなり小さくなる。すなわち、「第一種の過誤の可能性が超絶デカい」である。マジなのかと思った。これだったら、何も考えずにN=5くらいで実験して、そのデータの検定してその有意差をみるか、もしくは、どのくらい改善されれば良いのかまずは設定して、そこから必要はN数を計算し、その条件で実験をして有意差検定をしなくてはならない。そんな小さな差で「その培地が細胞の生存を統計的有意に改善した。だから、今後は培地にその薬剤を添加して、それを使っていこう。」とか、本当に本気なのか???

上述の人の発表も容認できるレベルではなかったが、2人目の発表はさらに酷かった。まず、自分だけ資料がなかったので、詳しくデータをみることもできなかった。なんだそれ。ということで、研究所のミーティングへの初参加であるにも関わらず、その発表内容を無視することに決めた。一応、聞くだけ聞いていたが、上述の人と同様、発表のゴールやそのために行っている実験の目的を言わないものだから、一体何をやっているのか、何をやりたいのかがいまいちわからない。さらにこの人は発表がかなり下手で、まずはスライドではなく資料を読んでいる、つまり、ずっと下を向いて何かを喋っており、かつそれがはっきりしていないので、何を言っているのかほとんど聞こえない。いや、聞こえているのだが、聞いていてメリハリもなく、そんなものに自分のリソース(頭、時間)を割きたくないので拒否反応である。もう一つの酷かったことがデータの示し方である。その人は、これも詳しくは述べることはできないが、薬剤のPharmacokineticsを解析するためのin vitroの臓器モデルの樹立を行っており、そのための培地選びを30種くらいの薬剤代謝遺伝子の発現量をもとに行っていたのだが、その30個の遺伝子を一個ずつ丁寧に説明してくれて、小さな図を一個ずつ丁寧に教えてくれた。正直に言えば資料を自分だけ貰えなかったので、はっきりしたことはわからないが、聞いていて発表、実験ともにそういうことをやっていると理解できた。研究のゴールや実験目的もなく、通らない声で下を向きながら、延々と自分にとってはハウスキーピング遺伝子のようなものの経時的な変化を聞かされる身になってほしいものだ。一個ずつしゃべるのではなく、ちゃんと解析してサマリーを言ってほしい。解析とはそういうものである。

上司や同僚との結果に関する”ディスカッション”は 1番重要である

もう一つ気になったことがある。両者に共通していることだったのだが、なぜその部署、というか研究室のPIは、そんなゴミみたいなデータで修士の学生のような発表を許しているのだろうか。クローズドで身内しかいないミーティングだからだろうか。”ただの進捗状況の発表”だったからだろうか。両者の発表を聞いていて、苦痛でしかなかったのだが、その場にいる人間たちはどう思っていたのだろうか。時間の無駄だと思わなかったのだろうか。

この研究所の私語や会話に関する、お世辞にも研究所もしくは研究を行う事業所として良いと言えない状況は上述した通りである。そこにもう一つ、図りしれない欠点があるように思う。それは上司や同僚との結果に関するディスカッションである。まず、上述の2人は、研究所の会話に関するポリシーを守って(だだし、約束を守ることはすごく大事だと思う。)、データに関して誰ともディスカッションしていないのだろう。というか、研究室内でのミーティングだって開かれているのをみたことがない。すごいことである。以前すこし書いたが、ジャーナルクラブ(論文抄読会)がない研究室は、結果として、少なくとも最新技術に疎くなっていって、徐々に新しい研究ができなくなってくる。さらに、この研究室は、ジャーナルクラブだけでなく、研究室内の週に一回程度のミーティングさえない。そんな状況なので、おそらくそのデータをPIも知らないのだろう。これは、考えてみればすごく恐ろしいことである。最悪の場合、そいつらの誰かがデータを捏造しているとも限らないではないか。発表1人目の統計をみても、結論を得るためのストラテジーが何かおかしいように見える。その培地により見た感じ改善しているのかもしれないが、それは適切な統計で評価して有意ではないのならば、それは軽微で特に顕著ではない改善という意味である。そういうことをおそらくPIはよく把握していないのではないだろうか。研究内容だってそうである。ディスカッションをしないものだから、その研究がその低レベルな研究者に任されてしまっているのだろう。PIはそれで良いのだろうか。その研究者も、自分は一般的にみれば木偶の坊な可能性があることを気づかずに、研究っぽいことを続けていくことになってしまう。

とにかく、ミーティングもないし、日常でデータに関するしっかりしたディスカッションもしないような研究室は、かなり酷い発表をすることになるのだろう。発表だけであればまだマシで、研究自体が酷いもの、すなわち、新しいはずもなく、それに加えて科学研究ではないような研究になってしまう。実際、ここに約一ヶ月勤めてみて気がついたことは、ここはレギュラトリーサイエンスと自然科学を区別していない可能性があるということだ。動物の管理等をしているし、半分は民間企業なのでレギュレトリーサイエンスのようなことになるのは理解できるが、それを自然科学と区別できないのは問題である。だから、論文もScientific Reports(手順が科学研究であったならOK。ジャーナルは新しさや重要性を求めていない。)やFrontiersのジャーナル(Review論文が多く、インパクトのカサ増しをしている。Predatory Journalにかなり近い;IFもついているし、DOAJにもリストされているし、Pubmedにもインデックスされている)チラホラしているのだろう。自分だけはこうなりたくない。

まとめ;発表の最初に絶対に必要なものは、その研究の目的とゴールである。

アメリカでポスドクをしていたこと、そこのPI(ボス)が、発表には全体的なゴールとか全体像をはじめに説明しなくてはならないとよく言っていた。正直この十年ちょっとの間、博士課程を出ているような人間でそういうことができない者はみたことがなかったので、それができていない発表というものはどんなものなのか、いまいち理解できなかった。それにこのPIだって自分の発表のときそういった背景を言っていたかといえば、よくわからん。

ただし、なんとここに来てそれができていない発表というものを体験することができ、その重要性を知ることができた。その研究室が定期的なもので、参加する人もいつも同じだったりすると、大体の者は、作業仮説みたいなものだけを言って発表をする場合が多く、全体的なゴールまで言うと時間が足りなくなったりするのでそれは省いたりすることが多いと思う。ただし、今回は運良くその両方が欠損した発表を聞くことができた。発表での全体的なゴールや作業仮説の重要性が本当によく分かる体験だったと思う。