MDPIやFrontiersは商用誌と同類と考えれば誰も損しない

日付;2023/07/23(日)

先日、FrontiersやMDPIはPubmedやJournal Citation Reportsなどの学術誌レポジトリに登録されており公ではハゲタカジャーナルではないにしても、Peer reviewが学術研究のクオリティーを下げるような論文誌が多くあり、またエディターなどもそのテーマを扱うための適切な専門家ではないなど、やっている行為がもはやハゲタカジャーナルであり、原著論文なんか投稿したら後悔する、という記事を公開したが、それについてちょっと考えたことがある。結論を言えば、MDPIやFrontiersなどを学術誌ではなく商用誌と考えれば、誰も傷つかないし、むしろこれらのジャーナルに投稿するのも業績になるのではないかということである。

記事を読んだり書いたりして思ったこと

FrontiersやMDPIに関する自分の個人的な考えを述べてきたが、その時にインターネットでの反応やPradatory Reportsなどのコメントや結論を読んでいて思ったことがある。それは、MDPIとかFrontiersとかの、いわゆるPossibly Pradatory Journalとされる論文誌や出版社のすべてをPubmedとかのレポジトリから削除して、かつ、個々の研究施設ごとにその研究所の業績として認めるジャーナルを設定してしまえば、今後変なジャーナルに投稿することもなくなるし、Pubmedによる検索とかで煩わしく思うこともないのに、ということである。

そして、逆にMDPIやFrontiers側も「これは学術論文とかではない。著名な学者先生のコメントももらえるよ!SFっぽくて雑なアイデアでもOKだよ!!みんなどんどん投稿して活発に議論してくれよな!!!自然言語処理のプログラムのみで作った原稿でも、それを論文のどっかに書いてくれればそれで完璧だぜ!!!!」と言っちゃえばいいんじゃねぇのかってことである。それはそれで面白いし、お利口な学術とは一線を画すことができるじゃあねえかよ。

ハゲタカジャーナル(Pradatory Journal)とはどんなものか;ネガティブな捉え方

以下が大雑把なハゲタカジャーナル(Pradatory Journal)の特徴であると思う。これはハゲタカジャーナルのネガティブな捉え方とも言える。

  • 出版の目的が科学の発展ではなく収益である。
  • なので、Peer reviewなんかあって無いようなもの。
  • 収益のために詐欺みたいなジャーナル名や著名な研究所や先生らの名前を使っている。
  • エディターやレビューアーがその専門ではなく、その論文の新規性や革新性なんか評価することはできないのにそれを努めている。

自分は、MDPIについては文献検索をしていると紛らわしいジャーナル名(あたかもツボを得ているようなジャーナル名だけど読んでみたらゴミみたいなレビューだったり、有名なジャーナルの誌名に類似しすぎて紛らわしい)がかなり大量にヒットするので嫌いであり、出版社がやってきた過去の振る舞いなどを考えてもどうしても認めることはできない。Frontiersについては、たとえFrontiers in immunologyのようなインパクトファクターがかなり高めの論文誌だとしても、その専門外の者(乳がんの免疫回避についての論文のエディターがナマズ養殖の専門家)がエディターを努めている(ことがわかるレビューアーの招待を2回受け取った)ために、やはりFrontiersの出す論文誌は信頼できずにいる。両者とも個々の論文に着目すればまともなものもあるのは知っているが、そんなゴミの出版社の論文誌に出すような論文を引用するつもりもないし、限られたページ数の原稿にそんなものを割くスペースも無し、そもそも、そんな論文を引用せずとも、もっともっと有名な論文誌に載っている「信頼できる」論文は沢山ある。

でもそれって社会、経済活動としては普通である;ポジティブな捉え方

まず、ハゲタカジャーナルの一般的な特徴を、科学技術の発展のため、だとか、科学技術のクオリティーを下げる行為だとか、只々不潔かつ不快でしかない、欺瞞に富んだ幻想を取っ払って見たいと思う。これは、上記のネガティブな捉え方との対比で、ポジティブな捉え方と言える。

  • 出版の主な目的は収益であり、これがすべての活動の源である。
  • なので、人目を引くような魅力的な記事選んでくる。
  • 収益のために詐欺みたいなジャーナル名や著名な研究所や先生らの名前をふんだんに使用し、更に流行りの分野をよくまとめた魅力的な特集号を作る。
  • Peer reviewなんか必要ないので、上記のような魅力的な記事をエディターの手腕で企画し、集めてくる。

考えてみれば、これは非常に健全なことのような気がする。収益を得て、さらにみんなのニーズを満たすという、極々一般的な社会・経済活動であるように見える。

それって商用誌じゃあねえのかよ

つまり、それらにしっかりとした体裁があるなら(無いならばブログと同レベル)ば、それはもうポピュラーサイエンスの雑誌である。それでは、世の中にはどんなポピュラーサイエンスの雑誌があるのだろうか。これらの商用誌はすごく勉強になる良い雑誌であり、誰もPradaoty Journalなんて言わないし、これを研究業績リストの原著論文に入れる者はそうは居ないと思う。

  • Neuton (Neuton Press)
  • National Geographic (National Geographic Society)
  • 実験医学(羊土社)
  • 細胞工学(株式会社Gakken)

パッと思いつくものがこれしか無い自分はどうかと思うが、これをどんな時に読むだろうか。「その分野について何とか勉強しなくちゃいけないが、専門の知識がないので、手っ取り早くその分野の全体像や概要を知りたいとき」ではないだろうか。これは、その目的のためにGoogleやPubmedで調べるのと同じであり、そのときに沢山でてくるFrontiersやMDPIと似たような状況ではないか。

俗にハゲタカジャーナルと言われている論文誌やその出版社も、むしろ、商用誌として誰にも文句を言われることなくしっかり収益を出せるモデルに変更してしまったらどうなのだろうか。そしてPubmedもJounral Citation Reports、その他のリポジトリも、そのような出版社を商用の雑誌であるとして逆にサポートしてやったらどうだよ。お互い利益でるんじゃねえか??こうなってくると、学術誌と商用誌を混在して業績に書いたり、後々、自分の業績の品位が落ちたりすることもないのじゃあないか?だって、有名な先生も著書として実験医学を業績に加えているじゃあないか。

結局のところそんなジャーナルに原著論文を投稿して研究業績にしようとした研究者がすべて悪いと思う

やっぱり、科学のクオリティーが下げる行為をしているのは、科学者自身や研究施設の運営スタイルなのだろうと思う。例えば、業績が必要だからと言って、それまでに自分の行ってきたことを汚してまで論文数を稼ぐ研究者とか、無駄に論文数を求める研究所やそのPIとか、インパクトファクターのみを研究者に強いる研究所とかそのPIとかである。特に、3つ目の論文のインパクトを求める場合ってのも、最近の日本の大学を始めとするアカデミックに多いように思う。先日、現所属のセミナーの案内にかかれていた若いだろう先生の売り文句に Scienceって書いてあったから見てみたら、それは原著論文ではなく、ただのコメントだった。それには、今の日本の大学などアカデミックが求める人材が「タレント性;若くて、インパクトのある響きのあることを研究している女性研究者」であることにも反映されているように思う。

オープンジャーナルに加えて、プレプリントサーバーを使う者も沢山でてきた。科学における自分のブランディングってのは、今後すごく重要になってくるんだろうと思う。日本の大学も、このあたりのマネージメントをしっかりしないと、衰退がさらに加速するからな。もう手遅れだから、何しても駄目かな。そうやって弱者は捕食者の餌食になっていくんだろう。