日付;2021/03/26(金)
現在、投稿中の論文の再々々投稿に向けて色々と準備をしているところであるが、その作業中、PI(ボス)というかラボについて思ったことがあるので、それらを個人的に記しておこうと思う。これは個人的な考えなので、全てに当てはまるということはないだろう。
この再々々投稿中、あまり冷静ではない(経験がないから?)うちのボスが、何をしでかすかわからないという意味でかなり心配だ。
まずは不安なところ1つ目は、しっかり読まないで判断するところだ。しっかり読まないだけに、その判断もどこか衝動的で良くない(微妙)ことが多い。それでいて、あまりエディターからのメールや添付物を読まないでそういうことを言うので、本当に話が通じなかった。いや、書いてあったし、リンク先がそうだったから、自分に何か言われても「知らん」しか言いようがない。「それとも何か?お前のために資料を全部そろえて、エディターの言っている要求を説明するが俺の仕事か??いちいち騒ぐなよ」って感じだ。
それに加えて、ネガティブな発言も気になる。昨日(2021年3月25日)、不安すぎてネガティブなことを言いまくっていた。これはうんざりしてやる気が失せるのでやめてほしいし、ある意味これがラボにとって最も問題かもしれない。ひとの実験中にウダウダと言っているものだから最終的に「知らんけど、論文になっている研究の生データが残っていないのはリサーチミスコンダクトの一つですから。生データがないのなら、もう一度再現しないといけないし、(論文になっているのだから)できるはずです。」と断言してやった。まぁ当然だと思う。問題なのがその後のボスの反応で、落ち込んでるのか、部下にそういうことを言われたものだからキレているのかわからないが、けっこうしょぼんとなっているように見えた。いやいやいやいや…..その後の共同研究先のラボとのメールのやりとりときたら….うんざりなのでフォローするのも途中でやめた。
ちなみに、2019年1月にクビ覚悟(クビというか、あのままだったら自分から辞職を申し出ていたと思う。)で同じことを言ってやったことがある。「この研究のロジックはおかしい。これで実験をやってもおそらく、そういった結果や解釈にはならないと思う。この研究にはそういった不安定なことが多すぎる。この図(複数)だって、なぜエラーバーがついてないのですか??コントロールはこれで良いのですか??これで投稿するのですか??こういう重要なデータについて、その生データを確認させてもらえないのはなぜですか?データがないなら、それはなぜですか?こういうのってリサーチミスコンダクトだと思いますよ。こんなことならばこの研究を続ける気にはなれない。」と。PIや責任著者なら当然のカバーしなくてはならないことだ。で、フタを開けてみれば、ラベルが間違っていただの、データが見つからないだの、実はこうだっただの…..この再々々投稿の中、これらが正しかったことが証明されつつある。
こういうところが、アカデミックで良いポジションを得るにはビッグジャーナルへの投稿と受理の経験が必須なのだろうと理解した。その経験がなければ落ち着いて対処もできないし、ラボのデータの保管や管理を含む研究のマネージメントも、良いジャーナルに投稿できるほど良くない可能性がある。マネージメントの良し悪しなので、ラボ内としては物品の管理(消耗品の購入・機器のメンテナンス)にも反映されているのではないかと最近では思っている。機会を見計らってラボ内の写真をアップしたい。けっこう、というかかなり汚いから。得にボスの実験台。いや、もう「ボスの実験台」とか言ってる時点でなんか怪しい。
前から思っていたけど、うちのボスは研究に向いていないのではないだろうか。これは周りのラボとよく比較してみるとよく分かる。実際、ジャーナルが少ない(業績がない;少ない。)、このラボだけ勤務時間が長い(仕事の効率が悪い。)、グラント申請がギリギリで、申請のために実験したりデータを要求したりする(準備が悪く研究テーマに持続性がない。新しい発見につながる研究をやってない。)、ラボが汚い(ゴチャゴチャしている・整頓されているとは思えない;マネージメントが悪い。)ということが他のラボと比較して言えるのではないだろうか。それにMD, PhDを誇示するエセ研究者に多い臨床・基礎・科学・産業の区別ができないように見えるのも気になる。こういったことはもしかしたら研究室の評価基準なのかも知れない。日本でもそうだったが、こういう研究室やボスの寿命はそう長くないだろう。うちのボスもどこかのマイナーな大学のラボやクリニックの、しょぼい教授になってしまうかも知れない。これ、日本でもアメリカでも、これから研究室を選ぶ人たちに伝えたいことの一つだ。
むしろ産業向きの人なのかも知れない。まぁ、産業に触れたとこがないので良く知らんが。
正念場ではその人の能力が如実に出るのかも知れない。逆に言えば、実力がなければ正念場を乗り越えることが難しいのだろう。