科研費が採択された

日付;2023/03/04(土)

2023年2月28日(火)の夕方4時頃に、令和5年度の科研費に採択された旨のメールが、研究所の外部資金の担当部署から届く。分類は科研費基盤Cで、今年を含めて3年間の研究期間になる。過去約5年間は留学していたし、その前の約1年半はゴミのようなラボ(人間的にはOK。仕事的にはNG)に所属してしまって、申請書を書いている段階で採択は無理だとわかるくらい酷いものだったので、科研費を取るのはやく8年ぶりということになる。その間に科研費も変わったことが多いようなのだが、基本的なところは以前と変わらずって感じだった。

もしこの科研費に落ちていたら、ここの研究所は来年(2024年)の3月に辞めようと決意していたところだったし、このポストを書いているこの瞬間も、長い期間続けるが自分にとって良いという自信がイマイチ持てない。しかし、この科研費が採択されたお陰で、ちょっとだけ今の研究も楽しいものになるのかもしれないと、期待できるようになった。これを書いていると、今の研究はショウもないという印象を受けるが、50%が有用、50%がクッソだなというところである。

そしてここでは、その採択された科研費について言いたいことがいくつかあるので、以下に書いていこうと思う。

謝辞

まず、自分の科研費を無い時間で審査してくれた審査員の先生方にお礼を言う必要がある。おそらく、この先生達は正月の休みとかを削って、かなり大量の申請書を評価しているはずである。しかも無償で。

無償ってのは、自分からしたら考えられない。自分は、いかなるのっぴきならない理由であれ、休日に無償で働くってのは良くないと思っている。日本って国民に大きな犠牲を強いる国の代表であり、その上、国民自体もまるでどこかの半島に位置する国のようにそれが刷り込まれてしまっていて、最悪なことに「自分の本務以外の仕事は、本務の仕事に支障のないように、休日や時間外に仕事しなければならない。」と考えている。つまり最悪である。良いのは食事が健康的なことくらいである。このご時世、研究員には残業手当も休日手当も出ないし、どう努力しても結局100%業績を求められるんだから、無駄な協力や中途半端なWillnessなしに、そういうことは自己責任で行う必要があると思う。この自己責任ってのを、良い意味でも悪い意味でも、雇っている側も雇われている側もしっかり考えて活動してほしいものだ。休日に実験をして失敗しても自己責任、機器をぶっ壊して誰にも連絡できなくなっても自己責任、休日に働いて平日に体調を崩しても自己責任である。こういうことになるなら、休日は心身ともに休める必要があると思う。

ともかく、こういった大量の申請書を時間外に無償で審査と評価してくれている先生方に感謝の意を表したい。ほんまおおきに。

そして、もう一つ感謝したいことがある。おそらく、2011年から4年半くらい在籍した研究所の先生の指導がなければ、おそらく自分は一生科研費なんか通らなかったような気がする。このときのリーダーには、本当に感謝している。

なぜ採択されたのか知りたい

科研費ってのは、不採択の場合、採択の連絡から少し遅れて、どういったところが不足していたか、ってのが、学術振興会のウェブサイトから確認できる。しかし、ちょっと定かではないのだが、採択された申請書の評価は知ることが出来なかったと思う。これは何故なんだろうか。「不採択だった理由を知ることで、次の申請に活かすことが出来る。」とでも考えているのだろうか。これは、ほとんど間違っていると思っている。

まず、次に出す申請書には、前の年に落ちた内容ってのはほとんど含まれていないのではないだろうか。一年も経ったらすこしくらいは新しい研究結果だって出ているだろうし、他のグループから出される論文等で勉強したことが反映されているはずである。そうなってくると、古い申請書なんてのは全く役に立たなくなる。とっくに旬を過ぎているとも言う。百歩譲って役に立つとしたら「申請書の書き方」あたりであるが、不採択の場合の評価を見たところでこういった事を直接知ることはできない。間接的に、なんとなく感じることができるくらいものだ。不採択になったら、少なくとも前の申請書はゴミ同然である。次に活かすなんてのは、生き残っている場合である。不採択だった申請書が役に立つなんてことは全くない。この「不採択だった場合の評価」というのは「落とした研究者への言い訳である」と自分は考えているくらいだ。もちろん、その申請書を別の申請にそのまま流用できれば、そのときはそのコメントが役に立つかもしれないが….

活用できる可能性があるのは「何が良かったのか良かったから採択されたのか」ということだと思う。簡単に言えば、他の研究内容に比べて自分の研究内容のどこが優れているのか知るほうがよっぽど有用なんじゃあないだろうか。助成期間が始まれば、そういった、言うてみれば長所の伸ばせば良い。そっちのほうが、将来的に秀でた研究になるのは明らかである。

ダメだったところを改善する、とか、いかにもダメな負け犬の考えそうなことである。このご時世「良さそうなところを攻略する」のほうが上手くいく。

結果発表が遅すぎる

あまり良く知らないのだが、昨年くらいから科研費の基盤などの結果発表の時期が一ヶ月くらい早まったらしい。それで2月末の発表になったようだ。その理由として、科研費が落ちたら雇えなくなるポスドクとかも居るかと思うので、その場合に次の職場を探せるように、とかなんとか、そういった類のことが曰われている。日本は研究者を舐めているのだろうか。それを言うなら、結果発表なんか年内にやれよ。

結果発表が遅すぎることのもうひとつの弊害は、書いたときの申請内容をすっかり忘れてしまっており、採択された後に「ところで、どんなこと書いてたっけな。」とかになることである。今回もまさにそれである。採択された申請書を読み返し「これをやるのか…大丈夫か….?」とかにおちいる。

申請書作成で使った論文。あんまり読んでない。

減額されすぎ

そして、実質的な大問題がこれである。これは全くわからない。なぜ研究を行うために必要な費用を貰えないのだろうか。コンピューターアルゴリズム、文系、経済の研究など、デスクから動かないですむような研究や所詮旅費にしかならない研究ではどうなのか知らんが、しかしながら今は能力がほぼゼロなのに大学にいる人間や人間のクズみたいなことを常習的に行っている研究者や大学教授(助教・講師・准教授・教授)も老若男女問わず沢山居ることも非常に問題であるが、自分たちのような医学・生物学系の研究では、ちゃんと代理店から見積とかを取った上で記載していることから、本当にその研究費が必要なはずである。ちなみに「その研究に必要な物品費をしっかりと網羅して、かつ、その必要な金額も見積を取った上で記載すると研究内容に信憑性が増す。」というのは、個人的には科研費申請書作成のコツであると思っている。次から、代理店からの見積もりや旅費の根拠も一緒に提出させたらいいんじゃあないのだろうかと思うくらいだ。

話を戻すが、今回はその必要な経費から、すごく減額された。申請した額から3年間で150万円くらい減額された。自分の研究ではシングルセルRNAシークエンスという解析を行う必要があり、確かにその実験に必要な経費が申請書には書かれていた。しかし、採択された申請書に書いてある交付予定額を見てびっくりした。その年の額が70万円減額されている。そこから間接経費を約30%くらい引かれるので、シングルセルRNAシークエンスのライブラリを、しかも、Feature Barcodeを使用しないで作成したらもうそれで終わりである。ライブラリ調整後のシークエンスも、ろくすっぽ行うことができない。そもそも、そんなに減らされたら予定していた他の実験も行うことができない。これを次年度の結果に書いても良いって事なんだろうか。もちろん、そんなことしたらなんかやばい感じがする。確か次年度の額を前倒しで使うこともできたはずなので、おそらく今回はそうなるだろう。しかし、必要な総額が150万円も減額されているわけなので、最大で計画の2/3くらいしか達成出来ない、というか、行くことが出来ないという事もかなり高い可能性であり得る。こんなの初めてである。

採択されて嬉しかったのは事実であるが、書いた内容を確認するために自分の出した申請書を読み返してみても資金が足りないことが明らかであり、最終的にはイラッとしてきた。なんなんだろうか。点数が満たなかったのだろうか。上位何名にしか、申請した額をあげないよ的な。じゃあ自分は何位だったんだよ。やっぱり、ここでも採択された申請書の結果こそ教えてほしいと思う。

そもそも基盤Cは有用なのか

今の日本は、国立の研究所や民間企業を含めて考えてみても、既に研究貧困国である。公立の大学や研究機関では、この科研費は必須であると言える。今所属している研究所は国立でも公立でもないが、やりたいことがあるならば自分で稼げと言われているように感じている。なので、有用とか有用じゃないとか、そんな次元の話ではなく、必須である。特に自分のように自分の研究にしか興味がないような人間にとっては、この上なくありがたいことである。今回は減額されて国に対して「もっと上手くやれよ」と非常にご立腹ではあるが、採択してくれてありがとうというところも無いことは無い。上述したように、これが落ちていたら来年にはこの研究所を去るつもりだったし、これが通ってもう少し研究するかという気持ちにもなれたので、そういう意味でも助成金というのは研究者には無くてならない物なんだと思う。

資金がなかったら何もできないので、有用ではある。しかし、この減額はどうだろうか、上述のように、金額と申請書に書いた内容を照らし合わせてみると、いや、もう照らし合わせてみる必要もなく、圧倒的に足りないことになる。今率直に思うことは、「中途半端でけっこう迷惑。」である。

日本のアカデミックについていつも思うこと

こういうことをやっていると、やはり5年後や10年後には日本で研究を行う人間は居なくなると思う。だって、もし自分の子供が大学院を出てアカデミックで活動することになったら、絶対に日本には居させない。どうやっても海外に叩き出すだろうと思う。そのときに絶対に「日本の研究のレベル、スピード、サラリー、資金のどれをとってもアメリカや中国にかなわないし、英語さえしゃべれない人が未だに沢山いる。そんなところでポスドクなんてやるな。博士とったら直ぐにアメリカに行きなさい。」と言う。もう既にそう思っている。