アメリカのポスドクを終えて帰国した

日付;2022/04/07(木)

アメリカでのポスドクは2022年3月28日に終了した。なので、アメリカから日本まで引っ越しをしなくてはならない。そのときの記録を残しておく。

3月28日(月)

この日はアメリカでの所属先最後の出勤日だった。しかし、前週の金曜日までに自分のデスクやベンチ(実験机)回りの掃除は既に済ませていたので、自分のデスクだけ整頓し、パソコン内の個人的なアカウント(GoogleやDropboxなど)が削除されているか確認して終了するつもりだった。しかし、そのはずだったのだが、既に自分のアカウントが所属施設のサーバーから削除されているらしく、インターネットにアクセスさえできなくなっていた。パソコン内の個人的アカウントについても前週に既に削除していたので、大丈夫だろうということで、インターネットへのアクセスは諦めた。こんな状態なので、簡単な掃除を済ませて、その研究室での全データの入ったHDDをResearch Associate(RA)に渡して、終了。

某大学

帰宅後、午後に自宅に来たクロネコヤマトUSA(Yamato Transport USA)からダンボール類やエアクッション類が届く。そこから引っ越しの準備を開始した。その間、なぜかボスから連絡があったが、忙しかったので無視。

4月1日(金)

クロネコヤマトUSAが集荷に来たので、それを預ける。その日は住んでいた地区での粗大ごみの回収日だったので、前日の夜に机や椅子をCurbsideに放置した。この日に確認したら、既に回収されていた。この日から部屋の掃除を開始する。

4月2日(土)

アルカリ電池を捨てにDSNYのBattery Drop off siteまで行く。ここは土曜日しか開いていないので、この日に行くしかない。Manhattan Bridgeのところ。Drop-off siteと言っても、行ったらDSNYの担当の人が待っていたので、アルカリ電池を渡して終了。直ぐ側がBrookyn Bridge、ManhattanのチャイナタウンとLittle Italyなので、そこを少し観光してきた。しかし、ここはチャイナタウンとかと行っても、Flushingのチャイナタウンのほうが、俄然チャイナタウンに見える。

Brooklyn Bridge
China Town@Manhattan
Little italy

4月3日(日)

テレビをBest Buyにいってリサイクルにだす。LCDディスプレイの破棄には29.99ドル(3800円くらい)が必要らしいので、それを支払った。

4月4日(月)

Japanese Medical Careで帰国のPCRを受ける。朝9:00に予約だったので、その時間までに受付まで行き、Nosal Swabによる検査を受ける。そして、12:30頃に検査結果がメールされてくる。無事に陰性だった。

陰性証明書。

帰ったらまず、Visit Japan Web(https://www.visitjapan.digital.go.jp/Web/Login)とMySOSの設定を済ませる。次に、Forest HillsにあるSpectrumに行って、インターネットとテレビのサービスを止めてもらい、モデム、WiFi、TVボックスを返却する。

4月5日(火)

部屋の掃除。午前中にChase bankに行って、残りのお金を引き落とし、アカウントを閉じてほしいことを伝えてきた。次にプリンターをBest Buyでリサイクル。

4月6日(水)

朝に最後の掃除をして、全ブレーカーを切って、部屋の鍵を封筒に入れて大家の部屋に放り込んで終了。そこから、JFKに向かった。63rd Drive-> Forest hills -> Sutphin Blvd. -> Airtrain -> JFK terminal 1。チェックイン(手荷物預け)のときに、MySOSの提示が求められる。セキュリティーチェックを経て搭乗。13:35に出発。

JFK terminal 1

4月7日(木)

16:50頃成田に到着。そこから非常に非効率な検疫が始まる。まず、おそらくスタッフが居ないのだろう。どのくらいの給与をもらっているか知らないが、かなりの学生が駆り出されていた。分厚いPlexiglassを隔てて喋っているので、何言っているか基本わからんし、そもそも、そこら中に書いてあるSocial Distanceはどうした??完全に密集状態である。ここで、日本のコロナウイルス対策は失敗しており、そういうことの結果としてコントロールできていないことの確証を得た。一体何回MySOSのアプリをスキャンするのだろうか。とにかく、非常に非効率だった。高齢の人にとってはかなり長い距離を歩かなくてはいけないし、学生は英語なんか喋れないし、喋れても発音が悪すぎて中国の人も困っていた。

19:30くらいになってようやく検疫が終わり、その後税関の手続きを済ませて、無事に入国。既に隔離期間はなくなっているので、公共の交通機関が利用可能である。この点についてはラッキーだったと思う。しかし、羽田空港までのシャトルバスが終了してしまっていた。電車での成田から羽田のアクセスの悪さは知っていたので、電車での移動は初めからパスした。東京や品川行きのバスもやっていなかった。唯一新宿行きのバスがあったので、そのチケットを3200円で買って新宿へ移動し、その次に山の手線で品川まで移動した。次に京急線に乗り換えてホテルの近くの駅である穴守稲荷まで移動した。無事にホテルにチェックインした時点で23:00だった。

近くのラーメン屋に入るが、Plexiglassで隔てられた食事はすごく微妙だった。

こんなんで美味いかね。

4月8日(金)

羽田空港から山形空港まで移動し、そこからシャトルバスで山形駅まで移動。で、ようやく実家に帰宅。

羽田空港のJAL