ポスドクへの信頼と責任の付与と研究の継続性について

日付;2022/04/12 (火)

先月にアメリカでのポスドクを辞めて日本に戻ってきた。辞める寸前までそれまでに続けて来た研究を続け、(Prinsical Investigator;ボス)と合意したところまで実験を行ってきた。しかし、当然ながら、そんな付け焼き刃的な研究が上手いこと終了するはずもなく、確実に研究を誰かが引き継いで行うか、もしくは最悪の場合、その研究は頓挫するだろう。

ここで、研究室を辞め、それまで行ってきた研究から距離を置いて初めて気がついたことがある。それは、もしある研究を、その研究を担当させた学生やポスドクの意見を尊重せず、いかなる責任も与えず、大部分をPIだけの考えで学生やポスドクに行わせてしまった場合、その学生やポスドクがラボを離れたときに起こる可能性がある事を、アメリカのポスドクを辞めたときの経験から記録しようと思う。これは、つまり、過度なマイクロマネージメントが引き起こす研究の継続性に関する問題だと思う。特に、そのようなマネージメントで精神的にストレスを受けていたような場合は、尚更問題になるだろう。

アメリカでの所属先の研究スタイル

自分が所属したアメリカの研究室の大まかな研究の流れは以下の通りである。

  1. ボスと実験の目的やその目的を達成できそうな実験のストラテジー(すこし長い期間での計画や実際の実験手技について)について話す。
  2. いろいろ自分で考えてから改めて相談し、それでボスが納得すれば実験できるし、できなければボスの考えた手法で実験をする事になる。
  3. その結果が希望通りであれば次に進み、そうでなければ希望の結果が出るような実験手法を考える

まず、上記1はごく一般的だろうと思う。しかし、個人的には2と3が問題である。この研究室は、まるでボスの考えを当てなければ実験ができないような研究室だったように思う。この点については上記1にもその要素は少し含まれているが、その時点では目的について話たり、ストラテジーを考えているだけなのでそんなに問題ではなかったと思う。また、意見の不一致なんかは多少はあるものなので、2にしたって一般的と言えるかもしれない。ただし、その研究室はそれがかなり過度だったと思う。もし不一致があれば、まるで、自分が考えていることはすべてが間違っており、ボスだけが正しいような感じになり、その実験からは自分の考えは消えてしまい、ほぼ強制的に、たとえ無茶苦茶な計画だったとしても、それが理屈通りであれば(理論通りであっても、無茶苦茶な実験;例えばN数が多すぎる、時間がかかり過ぎるなどは良いはずもない。)実行しなくてはならなかった。また、3には更に危険な考えが含まれている。以前、他のポストでも書いたが、「希望の結果が出るような実験手法を考える」というは科学研究の手法と逆ではないかと思う。本来ならば、結果に基づいて次の実験を考え、出た結果の意味を考えなければならないと思う。ほしい結果が出るような実験を行うのは、研究不正に限りなく近い考え方だったと思う。このために、在籍中はいつもヒヤヒヤしながら実験しなければならなかった。「もしこの大きな動物実験が上手く行かなかったら、一体次はどんな実験をするのだろうか。頭ごなし、良い結果が出るまでこの実験を行うのだろうか。」などである。また、この研究スタイルに慣れてしまうのが、本当に怖かった。きっと自分のアタマで問題を解決する力が損なわれてくるような感じがしていた。

つまり、そのPIはどうしても他人に責任を預けるのが嫌で、すべて自分の思った通り、考えた通り、進捗通りに実験をして、研究に都合が良い結果が得られなければすべて気に入らない人だった。簡単に言えば、他人が信じられず、全部自分でやりたい人だった。なので、自分には、週一回の臨床、助成金の申請なども全部自分一人でやっており、准教授なのに一人で夜遅くまで実験しているが、そんなのなのですべて中途半端で、最終的に実験も失敗しており、周りに比べてどうしても効率が悪いように見えた。本当に、なぜうちの研究室だけこんな時間まで仕事してるんだろうか、なぜほとんど研究室に居ないような研究室が論文が沢山あるのだろうと思っていた。大変なだけで独りよがりの非効率な大人を絵に書いたような人だった。

ポスドク終盤で起こったこと

そのPIは基本的には悪い人ではないのだが、はっきり言えば、他人の都合などは、例えば、帰国の準備があるとしても、おそらく病気になったとしても、ほとんど考えてくれない人だったと思う。例えば入院してたとしても、入院中に「どれだけ勉強したんだ。研究の計画を話せ。」とか聞かれそうである。絶対に自分の考えに従わせ、自分にとって都合の悪いことは全く許容しないような人だった。

これは最悪だった。昨年(2021年)の12月ころから、コロナウイルスオミクロン株(BA1とかBA2)がアメリカでも日本でも流行り始め、そして日本では2021年11月頃までに緩和されてきた入国時の検疫が改めて厳しくなったときだった。そして12月末には自分の新しい就職先も決まり、そしてこのような入国時の検疫なども含めた帰国計画を立てる必要もあった。

新職場には2022年4月1日に着任しなくてはならないし、入国時の検疫もあるので、当時は最大24日(隔離14日+もし搭乗者に陽性者が出た場合の追加隔離の最大期間14日=合計28日)を見積もらなくてはならなかった。また、自分の研究テーマについても、その時点でどれだけ頑張っても論文の投稿まで結果が揃うはずがない状態だった。その理由は、そのPIの裁量により少なくとも半年以上は自分のメインテーマ以外の無駄な実験に時間を費やしてしまっていた。自分は「あの薬剤は有意な効果はないので、ストップするべきだ」と結果が出るたびに主張してきたが、ボスのプロモーションなのか自尊心のためなのか知らないが、そんな無駄と言っても過言ではない状態で、「理想の結果が出るまで」実験を続けていた。

2021年の12月末に、そのような入国時の検疫の状態と、それまでの自分の研究テーマの進捗を鑑みて、3月4日の仕事を最後に帰国します。という旨の話をしたときのことだ。なんと、2021年11月末の就職試験を受ける前の話の内容(当然、また面談前のあまりにも不確定な時点の話である。)、つまり、ほとんどが推測な状態の話を引き合いに出され、その話が却下され、逆に、実験の数としてかなり無謀な計画を押し付けられた用に思えた。「押し付けられた」という表現を使ったのは、もはや三ヶ月くらいでは論文の投稿のために十分なデータなんか出揃うわけがないためだ。しかし、そのボスは本気で3ヶ月で論文投稿できると思っていたのかもしれない。その時点で、そのPIは研究者失格な気もする。目安を立てることができないのだから。その時の問題発言を以下に記しておこうと思う。

  • 自分1;「コロナウイルスの検疫や引っ越しがあります。また日本では4月1日に着任する必要があります。なので、3月4日を最後の仕事日にしたいと思います。」
  • PI1;「11月末に話をしたときには、お前はフレキシブルだと言った。契約なので3月末まで働いてもらう。」
  • 自分2;「じゃあ、そんなにギリギリまで研究して、私が帰国できなかったらどうするのですか?」
  • PI2;「そんなのは知らん。わたしはコロナの責任をとる必要がない。それは向こうの研究室の責任だ。」
  • 自分3;「そうなったときの、それではそうなったときの給与などはどうしてくれるのですか?」
  • PI3;「それは自分が支払ってやる。」
  • PI4;「お前の勤務先の連絡して、着任日を伸ばすように連絡してやる。」
  • 自分4;「そんな失礼なことはやめてください。」

結局その後、そのPIは自分の要望を無視し、無理やり次の職場に連絡をし、次の職場が折れる形で話がついた。本当に失礼極まりないことだと思う。自分が良ければ何をやっても良いと思っているのだろう。

自分2の回答(PI2)をもらった時点で、自分はこのPIがそういう人間なのだな、との確信を得た。この時点から自分はこのPIと接するのはかなりの注意を要する、なんやったらこのPIと約束ごとを結んではならないと考えるようになってしまった。自分3の回答(PI3)も、今考えれば非常に難しかったと思う。それは、帰国が間近になる時点では、おそらく退職届けを出しているだろうからだ。そして最後の自分4を伝えたにも関わらずそのPIは次の職場に連絡し、無理やり着任を5月の連休明けに伸ばした。そして、なんと、アメリカの研究室との契約こそがかなりフレキシブルで、その時点で手続きを進めれば3月4日の退職に普通に間に合うようだった。ちなみに、フレキシブルといったのは明らかに次の職場の研究テーマについてであり(実際はフレキシブルではない)、当然、一般常識的な範囲でフレキシブルということである。実はこのPIは日本文化も良く知っている人間なので、こういったことを知らないわけは無かったように思う。自分を必要としてくれるのはありがたいが、そのPIのスタイルは他人を犠牲にしても自分の利益を得るというところが多くあるので、非常に迷惑だった。

そんな状態なので、1月から3月末までのほぼ4ヶ月間、恐ろしい量の実験をやってきた。本当に無駄である。半分が動物実験であり、その1/2がまだやったことのない実験である。当然、話している時間なんかほとんどないので、全力でその課題をやった。もちろん、そんな付け焼き刃な実験が論文になるわけがない。なんやったら、それらの結果を考察して、新たに実験をする必要があるくらいだ。そのPIは本気でそれで論文を書こうと思っていたらしいが、そうだったとしたらエセ研究者だろう。アメリカでは准教授クラスにはこのような者が多いように思う。こんなヤツらでもテニュアなので始末が悪い。

そして、3月28日(月)すべての実験を終わらせて、研究室を去った。データもすべて置いてきているので、後はそのPIの責任で継続すべきだろう。しかし、自分はそんなデータで論文が出来上がるとは思えないし、引き継ぐポスドクやその他の者も居なかったし、実験が複雑すぎて、引き継ぐ者が居たとしても覚えるのは難しかったと思う。

ここでの教訓であるが、アメリカでは日本のような人の良さを出してはいけない。もちろん人に依るが、如何せん未熟な人間も多く、そういう人間にはそれは良くない。特に約束事や契約にはそうである。それをやるためには、自分のリソースを全部捨てる覚悟が必要である。そしておそらく、これが良くない企業や研究室などの集団は、いずれ潰れる。逆に、しっかりしている集団は本当に優秀で業績も伸ばしているように見える。

辞めたポスドクの数と自分が退職したときのラボの人数

自分は4年5ヶ月をその研究室で過ごしたが、それまでに辞めたポスドクは自分を除けば4人、Research Associate(RA;研究助手)は2人、合計6人でだった。そのうちに明らかに問題があったのはポスドク2人とRA1人、問題とは言えないものの辞め方が不可解だった者がポスドク2人である。もしかしたら、そのうちの一人はH1Bビザの取得のための時間稼ぎ、もうひとりは上手に逃げただけかもしれない。RAはもしかしたら状況は自分に似ているように思う。研究の整頓もできないほどギリギリまで研究していた。

また、自分が辞めた時点での研究室のメンバーは、PI、RA、自分の3人だった。なので、2022年4月ではなんと2人である。学生は寄り付かない。5月から新ポスドク(卒業したて)が日本から来るらしい。

このポストのタイトルにもあるように「研究の継続性」というものに明らかに悪影響していることがわかる。たった2人でいくつの研究テーマを実施するのだろうか。だれが新ポスドクにこれまで立ち上げてきた実験を引き継ぐのだろうか。3月分の一ヶ月を自分が頑張ったとしても、その後2ヶ月をポスドクなしで研究するのだろうし、ポスドクが来てもこれまで樹立してきた実験方法を引き継ぐ者は既にその研究室にいないではないか。

辞めた後の研究について

そんな研究室なので、自分がそれまで行ってきた研究は、誰かが引き継がなくては完了しない。また、少なくともMaterials and Methodsは、自分が書かなければ、実験ノートやデータを見ているだけでは難しいだろう。

しかし、これは途中で頓挫するのではないかと思っている。その理由の一つは、上述の通り、そもそも研究結果が80%未満(良く言って80%)であり、同じ実験を少し条件を調整して改めてやり直す必要があるが、引き継ぎは一回もやっておらず、そして、おそらく現時点(2022年4月)で研究室に引き継ぐポスドクが一人も居ないためだ。

2つ目の理由として、自分の研究ではないのだが、他に同じような状況の研究が頓挫気味であるためだ。これは自分の研究にも起こるだろうと思う。それは、以前在籍していた優秀ポスドクがやっていた研究である。ある意味ではこれは自分の研究より勿体無い事になっている。自分の目から見れば、もうすでに投稿していてもおかしくなかった。三年前にその優秀ポスドクに投稿させていれば、確実に成果になっていただろう。しかも、その当時であれば良いジャーナルに採択されたかもしれない。しかし、そのPIが「PDXモデルの実験結果を加えたいから」という理由で、先延ばしにしてしまった。この実験は論文とはほとんど関係ない実験である。正直気持ちはわかるが、それをやってしまうあたり如何に非科学的なPIか理解できる。優秀ポスドクのほうも、そのような大きな実験を半ばやっつけ仕事(ではないかもしれないが)で行うので、使い物にならない、エラーの多きすぎるデータを出していた。そしてその優秀ポスドクもついには辞めてしまい、3年以上も経つのに未だ投稿できていない。というか、論文が全く完成していない。自分もこの研究を手伝っていたのだが、如何せん詳細を教えてくれないし、いかなる権限も責任も与えてもらっていないので、どの実験をどうやってサポートしようか最後までこちらから提案することが難しく、まるで技術員のような仕事だった。それに、自分が出したデータも論文の大筋にはほとんど必要ないような結果だった。その理由は「そのデータがあるほうがインパクトがあるから」。当然、そんな目的の研究は論文に直接必要ないため形にはなりにくい。もはや、なぜこのPIをその大学は雇っているのか、不思議である。テニュアだからだろうか。学生もメンバーも居ないのに??

過去の優秀ポスドクと数ヶ月前にZoomのミーティングでその論文の投稿について話をしていたが、明らかに無難に上手いこと切り抜けている感じがした。それは当然であると思う。退職から3年以上も経っている。また、その優秀ポスドクは、なんとしても在籍中に投稿できるように努力しているのが自分にもわかった。そのような投稿すべき研究テーマにも関わらず、そのPIは無駄な延長を強いてきたのだから、投稿できていないのはそのPIの責任だろう。そういうことを考えれば、それはあっさりした対応になるだろう。要は、今更自分が関わる意味がわからない、ということだ。それにZoomでのミーティングだって、そのPIのようにわがままな子供ではないし、上手に話すのは当然である。

そのときの感想は「自分の結果なのにあっさりしているなぁ」くらいだったが、いざ自分がその身になってみると、そのあっさり感の理由が理解できた。要は「金の切れ目が縁の切れ目」である。

どのようにして割り振った研究を引き継がせて発展させていくか

研究の主な責任が与えられていないということは、研究者として信頼してくれていない(信頼してないから責任は与えない・ただの労働力だけを求められている等)と考えることもでき、このような状態は、既に自分はその研究室での仕事を終えており、その研究室にそれ以上貢献はする義理がない、とい事を最終的に引き起こしてしまう。まさにその優秀ポスドクもそう思っていたのだろう。

しかしながら、これを逆に考えると、どうすれば各ポスドクに割り振った研究テーマを途切れることなく引き継がせ、さらに発展させていくことができるかがわかるように思う。

まず、責任と信頼をポスドクに与えなければ行けないと思う。アメリカで在籍した研究室には、各ポスドクにおける責任と信頼というものがほぼ皆無だったように思う。研究室に来て数ヶ月で辞めてしまったポスドクを見ていると、如何に信頼されていなったかわかる。あんなにキツい言い方をされれば、誰だって萎縮してまともな回答はできなくなる。実験が上手く行っていないからと言って、だれがそのポスドクの実験ノートをこれ見よがしに勝手に開いて、これ見よがしにチェックするのだろうか。こんな事をしたら周りにも悪影響である。無駄なプレッシャーを与えられたことによる萎縮と、本当に解っていない(例えば、その研究室のRAのように)状態を区別できないのは、研究室のトップとしては良くない。もしそのPIが本当にそれに気づいていないのであれば、もはやPI失格だろうと思う。そして、おそらくはその結果として研究室に人が寄り付かないのだから、そうだったのだろう。

ポスドクや学生に対する信頼

ポスドクや学生に対する信頼というものは、その名の通り、その名の通りポスドクが出してきたデータやコメントを「科学的に」信頼することであると思う。これがない場合は、やっていることが技術員と変わらなくなり、もはや研究ではなくなってしまう。2021年11月末に次の就職に応募することをPIに報告したとき、「ポスドクは放っておくと何もしないので、こちらから強く言う必要がある。」ということを言っていたが、これはこのPIの勘違いだと思う。はっきりと言わせてもらうが、これって、そのPIがあまりにも人を信頼しないものだから、その分だけ他人から信頼されないだけの気がする。言い換えれば、ポスドクにポスドクとしての仕事を与えていないので、そのポスドクは仕事をしないのである。そういうことを強く言われたところで、そのポスドクは「いや、やっていること研究じゃあねぇし。そもそも面談のときの話とちがうじゃねぇか。」と考える。そして辞めることを決意してしまうので、仕事をしなくなる。なぜそれがPIに伝わらないかというと、ポスドクだっておかしな揉め事は嫌だから、黙っている、というか、そんなことをそういった人の話を受け入れないPIに言ったって無駄だからである。正直、これについては、2022年1月から3月末までで自分も味わった。まさに「そんなことを言ったって何も変わらないし、この研究室は去るつもりなので、媚を売ってもなんの得にもならない。」である。自分の場合はそれに加えて、「話している時間がないから、必要な事しか話さない。」となった。この研究室については、これはあまりにも快適だった。しかし、研究を発展させるという観点からは駄目だったと思う。何か面白い現象や結果について自由な考えを述べない方が快適な研究室は、もはや研究していないのと同じと思う。学生にとってみれば、勉強にならないだろう。これが、ポスドクや学生を信頼しないという事の結果の一つであると思う。

また、ポスドクや学生の個人的な事情も考えてほしいところである。自由に行動させろとは言わないが、どうしても対応が難しいこと、例えば、コロナウイルス流行による検疫、ビザの切り替え、ビザの更新、子供、家族の病気などである。自分の場合は、なにをナメられたのか知らないが、コロナウイルスによる検疫期間を考えなければならないこと、ビザ更新に関する期間をことごとく考えてもらえなかった。なので、事前に知っているにも関わらず、すべてギリギリの計画になってしまっていた。これやると、そもそも研究を続けることができなくなるので、考えてほしい。この点については、まるでアメリカではないようだった。というか、これだって、そのPIの「自分の利益を最大化できれば他人の不利益は関係ない。」という考えに基づくものだったように思う。こうなってくると、まるで仲間として考えられていないような気がしてくる。これをやってしまうと「あのヒトについていくのは嫌だ」という考に直ぐに至ってしまう。そして、それを感じたポスドクはたった3ヶ月で辞めてしまうし、そういうこことは学生間のSNSで筒抜けなので、学生は来ない。大学なのに学生が居ないというのは、良いとは言えないと思うのだが。

ポスドクに与える責任

どんな優秀な人間でも、学生のうちは研究を自分で行うのは不可能なため、学生に責任を与えるのは不可能注1)なのでそこは別の権限やマネージメントでカバーすべきだろうと思うが、ポスドクについてはある一定の責任は与えるべきだと思う。その理由は、ポスドクは既に学位をとっており、いくらトレイニー(Trainee)に属するとはいえ、ひとつの研究を遂行する能力があることがその学位により証明されているためである。具体的には、研究テーマを与え、ポスドクが行っている研究がその範疇から外れないように監督しながら研究させて、助成金を自分で獲得させる、ということをすれば良いと思う。実はこれは日本での主な研究スタイルだと思う。日本ではポスドクになったら、たとえゴミのような研究テーマだったとしても、すぐに科研費などの助成金の申請をしなくてはならない。ここで注意すべき点は、自由に研究をさせるということではないということである。PIは研究室のテーマに沿っているかどうか、ミーティングによりしっかりと確認しながら研究を実施させなければならない。

この真逆のスタイルでポスドクに研究させてしまった場合、すなわち、自分がアメリカで所属した研究室のようなことをやってしまった場合に、研究の継続性が途絶ることになるだろう。一定期間内に何らかのストレスを受けながら、ある目的を達成するためだけに行動してしまい、その期間が終わったりその目的が達成されれば、もうそれっきりである。それにしたって、継続的にポスドクが研究室に来てくれて、その新ポスドクが旧ポスドクから研究を引き継ぐことができれば、その研究は継続できるだろう。しかし、そうならない研究室はおそらく結果として研究室に魅力がないので、ポスドクもなかなか来ない。

なぜそう思うかといえば、アメリカに行く以前の自分がそうだったからである。自分で科研費を採って、PIと自由にディスカッションしながら研究できていたときは、ショボい研究ではあったが、絶対にこの研究を形にしようと思っていた。これによりポスドクには更に責任感が生まれ、熱意も出てくる。ポスドクの募集に「熱意のあるポスドクを募集します。」と書いてあることがよくあるが、それは逆で、研究室側がポスドクに熱意をもたせてあげなければならない。このご時世、ポスドクほど色々と考えている人間はいないので、そのポスドクがその研究室が自分にとって無駄であると悟った瞬間、その研究室を去るだろう。そのような研究室は、総じて魅力がない。

きっとハナから研究が目的ではないポスドクも居る

しかしながら、そういう純粋に研究をしたいポスドクだけではない。なかには、最終的に製薬会社の研究者になりたいという目標を持つ者も居るだろう。そういうヤツはおそらく、何をしても研究の継続性は望めない。その理由は、企業などに就職した場合、もはや他の研究室なんかにかまっている時間なんかないためだ。また、例えば、ポスドクというキャリアのみがほしい、テーマなんか関係ない、という場合もある。こういう場合はギリギリまで研究をさせる、ということは望めないように思う。初めからそういうヤツを引かないようにするためには、上述した「ポスドクが行っている研究がその範疇から外れないように監督しながら研究させて」ということが求められるのだろう。そのポスドクのパーソナリティーを良く見極めて、区切りの良いところで契約を切ってやることが必要だと思う。案外、ポスドクもそれを望んでいる可能性もある。

まとめ、というか言いたい事

ポスドクには研究上の責任を与えなければならない。そうしなければ、契約(目的・期間)が終わった瞬間、その研究は途切れることになり、まるで「金の切れ目が縁の切れ目」と言わんばかりに研究に継続性がなくなってしまう。そうなってしまえば、今までせっかく頑張ってきた研究が止まり、ある研究テーマが終わってしまう可能性もある。また、引き継ぎが上手く行っていない場合は結果の再現性にも問題が生じるだろう。ポスドクや学生への信頼も重要である。もし何らかの理由によりそのポスドクや学生を信頼していない場合、それがストレスになる事が多く、その場合、契約修了後など、ある一定期間後にポスドクや学生は連絡を取ってくれなくなり、やはりせっかく続けてきた研究が止まってしまう。特にポスドクには研究においてある一定の責任を与え、研究助成金を獲得させ、そしてこちらから熱意をもたせるようなマネージメントをしなければならない。このように研究を運営することで、最終的に研究室の魅力が上がり、学生やポスドクも継続的に来ることになり、それにより研究の継続が容易になるだろう。

(注1)博士課程くらいになれば学振なんかから助成金をもらえたりするが、それにしても、自分で責任を持って研究するのは難しい。なぜかと言えば、共同研究を締結したり、何か問題があったときに責任をとることはできないためである。おそらく、有事のときにはPIのような研究主催者や教授が責任を取る必要がある。