創薬ベンチャーに就職して1か月が経った

日付;2024/2/4(日)

昨年12月で前職場を辞職して、2024年に1月からとある創薬ベンチャー、とは言え、立ち上げて既に数年が経過しているようだが、そこに就職した。そしてこの2月で1か月が経過した。最近になりようやく落ち着いてきたので、その感想と、近い将来にどんな状況になっているのだろうかと、色々と記しておこうと思う。

良いところ

日本のアカデミックの研究姿勢や運営方法に全く同意できなくなり、というか、前職に同意する理由がなかったことと、日本のアカデミックの天気がかなり悪いことから創薬ベンチャーに移ったが、やはり、この小さな組織にも良いところと悪いところがある。まずは、良いところから。

迅速ゆえに実力が試されること

創薬ベンチャーであり、仕事に要求される速度が非常に早いように思う。ミーティングに参加しても研究計画が週単位で決まっており、正直言って「これで大丈夫なのか?」と思ってしまうが、これについては後で述べようと思う。

現時点で、「週単位で目的を達成しなければならない」というスタイルの良い点は、逆に言えば、「そんなに早くやりたいのなら、わかっているんだよなぁ?」というスタイルが適用できるところである。すなわち、「じゃあ聞かせてもらおう。そんなに早くやりたいのなら、失敗も許されないし無駄な実験もできない。だからさぞかししっかりしたロジックが既にあるのだろう。なぜこの解析が必要で、一体どんなデータを取って、どんな統計解析をして、どんな結論がほしいのか教えてもらえないだろうか?」ということを、大っぴらに聞くことができる。特に、プロジェクトに最初から参加している場合は尚更それが許されるところが良い。この問答で納得いく理由が無いならば、はっきり言って無駄として切り捨てることが出来る。当然、こればっかりやっていたら色々な意味で嫌われるので、そんなに多用するわけには行かない。しかし、ここぞというところでこれが非常に有効であることに気がついた。だって、なんとしてもある期間中に成果を出したいんだから。そんなにその結果がほしいならば、そして、そんなにゴリ押ししてくるならば、それなりの理論が備わっているのだろう。もしそれが無いようならば、相手を徹底的に叩きのめすことが出来る。こういった場合は、そのプロジェクト(正しくは何か別の言い方があるかも知れないが、まだ良くわからん。)に途中から参加していても、その発言には絶大な効果がありそうだった。

こういうところは、本当にアメリカでの留学経験が役に立ったと思う。ほんと、アメリカのボスだった先生に心から御礼を言いたいものだ。あなたがクソ厳しくシゴキ倒してくれたお陰で、ちょっとでは負けない能力を身につけることができました、と。もちろん、この職場でやっていることが、アメリカでやっていたこととすごく似ているということは大きいのだろうけども。

とにかく、給与には直接影響しないとは思うが、こういう実力がモノを言う職場は本当に良いと思う。人間関係としては多少ギスギスする可能性があるが、上下関係や左右関係にさえ気をつければ、それでOKである。

責任というかポジションが上がったところ

博士課程を修了してからの12年間(アメリカはそもそもポスドクだったので、除くべきかも知れない。その場合は7.5年だし、最初の6年くらいはそもそもポスドク的な能力であり、正直言って研究で本当にしなければならない事がイマイチよくわかっていなかったと思うので、実際にこれを感じていたのは1.5年くらいなのだが…)、下っ端以上の責任を与えられたことがなく、本当に、まるで雑草のような研究生活だったと思う。どういうことかというと「そのプロジェクトの研究員のポジションは与えるけど、とは言えお前にはプロジェクトで使える運営交付金は基本的には分けてやらんから、研究したいのならば自分で科研費を稼げ。最悪、協力したるけどな。」という感じだったと思う。日本で研究しているときは、正直研究者っていうのはこういう事だと思っていた。しかし、アメリカで色々と経験してわかったことではあるが、これはある意味、PI(Principal Investivator)がすべき研究スタイルである。PIは運営交付金に加えて大きな助成金を稼ぐことができ、それを使って研究を進める。そして、その大きな助成金でポスドクや技術員を雇い、分業させて、研究を上手に発展させていく、という仕事をする。ポスドクのようなポジションはそんなことをやる必要がない。そのPIと協力して、がっつりとその研究分野を学び、良いデータをだし、ハイインパクジャーナルに出せるように全力でコントリビューションすることに集中すれば良い。しかし、一般的に日本のポスドクは、トレーニングと称して、上述した本来PIのような仕事をし、それでいて、なぜかプロジェクトの研究(プロジェクトの場合、その研究費が人件費とともに形状されていると思う。それが出来ないなら、初めからするんじゃあないよ。迷惑だから。)を自分の科研費を使って行い、まるで上納金として業績を献上するような働き方をして、ポジションを繋いでいる。こんなのはもはやPIレベルのスタイルである。研究員はポスドクとは違うので、残念ながら、自分で科研費を書く必要があるが、しかしながら、そうなってくるとやはりPIのようにある程度は裁量を与えてもらわなければ業績の枯渇を招く。特に、後述する自分が直近まで所属した研究室では、なんと科研費を取っているにも関わらずその研究テーマを効率よく進めることができないような状況になった場合、間違いなく5年後に示すことができる業績がなくなる。言っておくが学会発表や助成金取得は、いくらそれが大きいと言っても業績にはならない。アメリカだってR1を取ったらようやくラボを持て、そして、次に行くためには良い論文が必要なわけである。業績として論文が最強であり必要なのである。これが出来ない場合は、研究者としては生きることができなくなる時が絶対に来る。

そして、そんなことをやっても、責任が上がったり、ポジションが上がったりすることは、特に国立の研究機関ではまず無いのでは無いかと思う。最近は「若い・女性・耳目を引くタレント性」を持つ人間を必要としており、いくら論文業績があって研究能力が高くても、どこの馬の骨かわからん奴はこの条件で足切りにあることが多い。そして最悪なのが、これを決めているのは「人事部」である可能性がある。最近は本当に酷くて、もう35歳でも良いポジションに付けるかどうか分からなくなっていることを聞いたことがある。正直耳を疑った。日本の研究はレベルがどんどん下がっているということを文科省自身も理解しているように見えるが、その国がこんなことをやっているのだから、日本の研究レベルはキャバクラレベルとしか言いようが無い。前所属なんて、技術員としてしか見られなかったから本当に酷かった。Job Discriptionに書いてあることも、ほとんど嘘だったし。Job Discriptionに書いてある研究を真摯に行おうとして相談に言ったら、「それは実中研でやるべき研究か?」とか言われたからね。じゃあ、はじめから雇うなよって感じである。

そういうことで、日本のアカデミックに嫌気がさして創薬ベンチャーに行ったわけだが、そこでようやく研究員の一個上に行くことができた。はやり、責任を与えられるということは、認められた気がして、やる気やモチベーションを上げるためにも非常に良い。短期間で成果が求められるので、みんなしっかり聞いてくれる。これが更に「よし、ここにしっかりと貢献しよう。」という気分にもさせてくれる。逆に、話を聞いてくれなくなったら終わりとも思う。そんなことにならないように、確実に成果を出そうという感じにもなる。

責任とはこういうことなのでは無いかと思う。

同じ研究室に化合物を合成している研究者がいること

アメリカで所属した研究室もそうだったが、隣に化合物を合成しているグループが居ることは非常に強いと言える。生物学的な研究、特に新規化合物の抗がん効果なんかを研究している研究室ならば、「今度このタイプの阻害剤を合成してくれるみたいだから、やってみよう。」みたいなことが簡単に起こる。そして、これはアメリカのそこそこ良い大学や研究施設なら、普通である。ここがアカデミックだったら、アメリカのそこそこの研究室と競争できる、日本でもトップクラスの研究室になっていただろうと思う。そこはインダストリー(というか、こういう創薬企業はどう呼ぶのだろうか。別に大きな製薬企業のように工場で製品を作っているわけでもないので、インダストリーと呼ぶのはちょっと違うかもしれない。でも、アカデミックでもない。)であり、何かを科学的に解明する研究ではないのでそういうことはできないが。

化学者が隣に居ることの利点は、コミュニケーションやフィードバックが明らかに早く、必要な化合物が比較的容易に手に入ることであると思う。また、生物学者では分野が違いすぎて知ることができない、化合物の物性的な性質を、解析結果や研究結果に付加することができる点である。これにより、解釈の幅が広がり、おそらく、これが研究であれば大きく進展するのだろう。ここはインダストリーだけど。これはシンプルにとても良い特徴であると思う。日本のアカデミックでそういう研究室がいくらあるだろうか。おそらくほとんどない。薬学部だったとしても、しっかりした生物学の研究室とコラボレーションできている研究室は、日本にはほとんど無いだろうと思う。

悪いところ

しかしながら、たった一ヶ月働いただけであるが、非常に勿体ない欠点さえ見えている。これは、一体どうしようかと考えているところである。上述したように、以前よりも多少責任があるポジションにいるので、まずはなんとかして学術的なレベルを引き上げてやろうと思いっている。というか、100%基礎研究出身の自分に出来ることなんて、今はそんなところでしかない。

学術的な能力と経験値が低い

遠慮しているのか、本当に知らないのか、条件検討を非効率に行っているのか、条件検討をする時間がないのか、そのすべてかわからないが、なぜそんな不確実な方法で化合物の効果のバリデーションを行っているのだろうと思うことがある。そんなに少ない細胞株の種類、少ない細胞数やタンパク質の濃度でタンパク質発現に対する影響を評価することに対して、怖いと思わないのだろうか。ウェスタンブロットをECL(Enhaced ChemiLuminescence)キットで発色し、ImageQuantでイメージングするのは良いが、オート露光一発で良いと思っているのだろうか。発現量が違いすぎるレーンが同じブロット内にある場合は、長時間露光と短時間露光が必要であるに決まっている。また、これまで見せてもらったウェスタンブロットのデータ(パワーポイントにまとめられているので、生データは取っている可能性があるが。)では、GAPDHやコントロールのレーンのバンドが飽和してしまっているではないか。特にコントロールのレーンの飽和は「仕方ない。それをイチイチやっていられない。」と考えているらしい。なぜ??重要な岐路でミスリードしたらどうする???すべてが泡となって消えるのではないだろうか。もし各条件でのコントロール(DMSOなど)のバンドがズレまくっている場合、それは使えるデータと思っているのだろうか。重要なプレゼンテーションや決定の場でそれを示し、「でも、各条件でのDMSO揃ってないから、なんかおかしいね。これとこれを最低限見せて。」と、どこかで言われるに決まっているじゃあないか。

また、解決するための方法が非常に難しいが2週間集中して取り組めば解決できる場合、それを時間が勿体ないという理由で放置し、上手く行っていない方法でデータを取り続けるのだろうか。だから、それでは上手く行っていないんじゃあないだろうか。ラッキーで良いデータが出たら、それを金輪際ずっと採用していくのだろうか。それは将来的にミスリードするのじゃあないだろうか。

すなわち、問題解決能力や研究を形にする能力が足りていないように思う。こんなことばかりしていると「企業の研究者って、博士課程を出たと言っても論文博士だし、ポスドクも経験していなければ、確かな論文もろくに書いたこともなしに、口だけでやってきたエセ研究者やん」と解釈されても仕方ないと思うし、ベンチャーなんだから、あまりナメたことやっていると会社潰れるんじゃあないのだろうか。

だから、可能な限り科学的な観点からチクチクとコメントしようと思う。先程も書いたが、上下左右関係に気を配りつつ、そのあたりの妥協はしないで行こうと思う。それで拒否がでたら、納得行く理由を教えてもらおうと思う。それで駄目なら、何をしても駄目だろう。

ちなみに、理科学系の分野でなぜ論文博士が微妙かといえば、率直にその研究能力が低いことである。もちろん、その限りではないので一概に能力が低いとは言えないが、経験的にもカリキュラム的にも、平均的に言ってそのような結論になる。課程博士と比べて論文博士(社会人課程とかの)の能力が平均的に低くなる理由は、大学の研究室で行っている週一の論文抄読会、研究報告会、学振や研究助成金の申請書の訓練、教授からの(不必要に厳しいほどの)指導、論文を書くための徹夜の研究、出版するためのディスカッション、時間がない中での後輩の指導、その関連する研究室の雑用など、博士課程のときにやるべきことをやっていないこと、そして、重要なポスドクを経験していないことである。ポスドクまで行えば、これらを履修していることが多いのではないだろうか。そして、課程博士は3から4年で自分の論文を出して卒業するが、社会人博士はどうだろうか。卒業したとしても「あれ、なんでこの研究で学位とれた?」みたいな奴がいないだろうか。実際、彼らと話をしていても「ん??」となることが多く、そして後から「やっぱり、なんかトロいこと言ってると思った。」となることがけっこうな頻度である。論文博士がまかり通るのは、日本における研究分野では「医者」のみである。その理由は、医者は社会的なポジションが高く、それがいなければ研究や企業を含む社会全体が回らなくなるためである。学術的には、やはり論文博士は医者といっても学術的な平均値は、辛辣ながら低いと思う。イキってるだけである。また、アメリカなんかでは顕著であるが、臨床研究のうち、本当にベッドサイドで行っている研究はM.D.がやっていることも多いし、それは医者にしか出来ないし、学術的なところとは少し違うと思う。だからである。

計画が無理やり

最初に、すごく迅速な研究のペースが望まれているということを書いた。それで良いと思うが、しかしながら、これまで見た感じから言えば「ミスリードせずにそれだけ迅速なペースの研究を達成するための経験とロジックの組み立て能力が不足している。」ように思う。

これはすなわち、最初に書いた「じゃあ聞かせてもらおう。そんなに早くやりたいのなら、失敗も許されないし無駄な実験もできない。だからさぞかししっかりしたロジックが既にあるのだろう。なぜこの解析が必要で、一体どんなデータを取って、どんな統計解析をして、どんな結論がほしいのか教えてもらえないだろうか?」というところのネガティブな方向から見た解釈である。こういうことをアメリカで所属した研究室で言ってしまったら、そのときのPI(Principal Investigator)は絶対にこれを聞いてくるはずだ。

おそらく「しっかりしたロジックや結論を支持するための科学的な結果を出す」という経験が無いことが原因だろうと思う。

これは駄目だと思ったことが、「サンプルが貴重だから全部のデータを取る。」という考えに基づいて研究を進めようとしていたところである。そして、どうやら臨床検体を使うことができる承認期間が終わり近いため、という非常にどうしようもない問題でもあるらしく、それで焦っているらしい。焦っていることと迅速であることは、もはや全く異なる。

まず、そんなに重要であるならば、なぜそんなに放置したのだろう。この時点で、彼らが言うほどの迅速性がその仕事では求められていないという感じさえする。さらに悪いことに、なんと条件検討を1週間で終わらせる、ということを目的としているらしい。愚か者である。こういうことをすると、優秀な研究者は本気で逃げる(すでに前任者がそうだったと見ている。)ので要注意である。これは学生の宿題ではないのだから。

上述したように、こういうことは解釈にミスリードの無い研究計画を立てるための経験と実績が不足している、とこう証拠であると思う。だからこそ「そんなに早くやりたいのなら、失敗も許されないし無駄な実験もできない。じゃあ聞かせてもらおう。なぜこの解析が必要で、一体どんなデータを取って、どんな統計解析をして、どんな結論がほしいんだ??」とか「それって、もうすでに論文として出ていますよね?なぜここで改めて同じデータが必要なんですか??症例数も足りますか???患者の階層化も適切ですか????TCGAで十分ですよね?????」とか、某2チャンネルのファウンダーみたいなことを言う羽目になるわけである。

迅速に研究を進めるためにこそ、必要な結果はしっかりと揃える必要がある。急がば回れだし、本末転倒になってしまう。

今後どのように考えて活動するか

そういうことで、現状では精神的にも体力的にも、そんなに辛いところは無い。ここではまず、製薬や創薬の企業で研究や開発を進めるだけの力があることを示すことができ、そのための実績も考えながら活動していこうと思う。正直、アカデミックはどうとか、論文はどう、とかそういうことは取り敢えずもう要らない。やはり、アカデミックの基礎研究で得た研究の能力を、こういった社会の中で活用することを頭において活動しようと思う。

あと、やはり、前職場を辞めて良かったと思う。分野としても、インダストリー(というか創薬ベンチャー)であるが、がん研究であるし、アメリカでの経験を前職場よりも明らかに活用出来ている。それに、思ったよりも研究活動に近く、けっこう興味深く過ごせている。

現時点では….今後はどうなるのかよくわからんけど。