再々々改定

日付;2021/07/03(土)

今週の木曜日(2021/07/01)にようやく論文の再投稿が完了した。これで投稿が4回目。もうエディターから出版に向けた要求が来ているので、おそらくこれで、言うてもとても大きな問題もあったので、良くも悪くもこの投稿は終了になると思う。1回目の投稿からほとんど1年が経過している。こんなにストレスな投稿も初めてだ。

まず今回の改定の難点を述べる。

レフェリーからの要求が不必要に厳しかった

投稿と改定がこんなにも長引いた一つの原因が一人のレフェリーがものすごい勢いで食い下がってきたためだ。三回目の改定のときなんて、そのときの自分たちの返信に対して「いやいや、そうじゃない。自分はこのデータを出してほしかった。….をやれ。」とか、急に論点を変えた要求を出してきた。このことについてボスや共同研究者と何度か話をしたことがあるが、やっぱりこれはポイントレスだったと思う。指摘の内容が変わってしまっていた。さらに、もう一つの質問に対して、「抗体が売ってなくて利用できないのなら、質量分析をやってこい。」とかを言ってきた。これについては明らかに過剰である。なぜかというと、自分たちはすでに同じことを意味する結果をin vitroとin vivoの両方で、モデルや細胞を変えていくつか出している。要するに、質量分析なんかやったところで、結論は同じである。同じようなクオリティーの実験や結果をいくつも出しても全く結論なんか変わらない。また、そんな蛇足な実験に対して誰がお金を出すのだろうか。しかも質量分析のためのサンプルの調整だって、Western blotと比べても難しい可能性だってある。最適化しないといけない。こういった、ある実験や研究に対するレフェリーの質問や要求に対してすべて回答できないならば、すべての論文がアクセプトされないというならば、研究や実験のクオリティーや内容はレフェリーの能力に依存することになり、研究を行った者のグループの考えの比率がかなり下がってしまうはず。そうなってしまうと、一体研究とは誰のためなのか、そして何のためなのかわからなくなってしまう。もちろん、そういった能力に疑問のあるレフェリーを、「こいつはレフェリーとしてカスで使えないクソッったれなので、なんとかしてくれ。」とか、もっと真面目に「その質問には同意できない。その質問は目的や論点を取り違えている。」と言えないこちら側にも否があるとも思う。うちらに対して思うことは、一体、なぜそんなに余裕がないのだろうか、ということだ。

共同研究者側のデータ管理が悪すぎた

今回の改定では、エディターからまるでアクセプトされた後のように細かい要求が来ていた。そのためにうちらは頑張って改定した。今考えるとアクセプト後にすべき内容とは少し違う気がするが、しかしながらまだレフェリーとのディスカッションの最中とは思えないくらい詳細でジャーナルのポリシーやコンプライアンスに影響するような内容だった(なんとも言えないが、そう思う)。COIなどの問題はほぼ皆無なので、そのあたりは何の問題もない。以下が問題だった物である

1.全統計(詳細なp値、実験回数、検定手法など)を全部書くこと。
2.全ブロットの提出
3.全生データの提出
4.棒グラフやボックスプロットの場合、全データ点をグラフやボックスプロット上に表示すること

これらはもしかしたら今の主流になっているのかもしれない。最近論文をよく読むが、そういった図の論文をよく見かける。自分は昔からRを使っているから統計の計算もグラフ上に全データ点をプロットするのは簡単だし、日本では理研のSTAP細胞捏造問題を始めとする各大学の研究不正の多発及びメディアや世論の重箱の隅を突くような無駄な指摘が多く、これをやらないことにはとても怖い思いをすることを知っていることから、データの保存やトラッキングはちゃんとやっていた。だから、自分の行った部分の結果は何の問題もなくこれらの要求を満たすことができた。しかし、共同研究者はそうではなく、データを揃えるのにバカみたいな時間(三ヶ月以上)かけた。それは、ある共同研究者が職場を退職したりして、その者に問い合わせをしたり、その上でどのデータを使ったのか探したり、その作業を当事者じゃない研究者(しかし、彼女だって一緒にやっていたはずなので、ゼロから探すとか、そういうことではなかったはず。)がやっていたためだ。そして、最終的に「一つのデータ(免疫染色の画像)が見つからない」ということで、結果を一つ取り下げている。こういうことで膨大な時間がかかってしまった。個人的に言えば、これらの要求はとても簡単で、早ければ2週間で終わったと思う。

レフェリーやエディターからの要求に対して思うこと

このエディターからの要求に対して思うことは、果たして本当に全データの提出や詳細なp値(p<0.05ではなくp=0.00434と書けということ)は必要か?ということだ。読んでる側は誰も詳細なp値なんか気にしていないし、全データを載せられたところで誰もその値を確認したりしない。これをやる場合、エディターやジャーナル側にレビュープロセスや出版プロセスとは別のマネージメントが必要とされるはずである。当然これは研究として当然担保されなければならない情報だが、それらはレビュープロセスに入る前に行う必要があるのではないだろうか。そうすればこんな改定に対してバカみたいに長い時間を費やす必要はないし、自然に研究の研究者側とジャーナル側の両方のマネージメントも良いものになるはずだ、と思う。しかし、これを強くやりすぎると、優秀でない研究者に至っては一生論文を書けなかったり、一体何を目指した研究か解らないことになるかもしれない。ということはやっぱり研究者側のクオリティーに依存になってしまうのだろうか。このあたりのバランスは難しいが、少なくとも研究者側のクオリティーが高ければ何も問題がなく、低ければ一生自分が主導の論文がかけない、ということになる。

ということで、今回でアクセプトされればとても嬉しいと思う。しかし、結果を一つ取り下げているので、これまでの改定やこの研究の信頼性が下がってしまったのは間違いなく、これが原因でアクセプトされなかったとしても不思議ではないのではないかと思っている。自分ももうこの共同研究先を信じないし、ボスの人選やテーマ選別ももはや信用できないと思う。

Editor assignedになるのがすごく早い気がする。暇なんだろうか。